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竹笋生 たけのこしょうず 歳時記
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竹笋生 たけのこしょうず

沖縄地方に続き、鹿児島県奄美地方に「梅雨入り」が発表されました。
新型コロナウィルスの状況は第六波の再拡大が危惧される中で、この2年間と同様にリバウンドを繰り返しながら経過してしまいました。
そのような中、15日はアメリカの施政権下にあった沖縄が日本に復帰して50年を迎えます。
七十二候は16日より立夏の末候「竹笋生(たけのこしょうず)」と移り、粛々と何事もなかったかのように繰り返していきます。

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竹笋生(たけのこしょうず)

竹笋生(たけのこしょうず)」はタケノコがあちらこちらからヒョッコリ顔を出し始める頃という意味ですが、多くの皆さんは「えっ!?これから?」と違和感を感じられる方も多いかもしれません。

竹笋生 たけのこしょうず

多くの方が「タケノコの旬」と感じるのは3月から4月ではないでしょうか。
その頃、竹林で顔を出し始める「タケノコ」は中国原産の孟宗竹で、この七十二候で告げられる竹笋は日本に古来からある「真竹」を指しています。

竹と笹

今回もよく似た植物の話ですが、皆さんは竹と笹の違いをお分かりになりますか。
実は竹も笹もイネ科タケ亜科に属する植物で同じものではありますが、竹と笹には若干の違いがあります。
その分け方は一部違いはありますが、概ね大きさでその呼び名を分けています
竹の名の由来は「高い、丈」からきていると言われるため大型のものを「竹」と呼んでいます。
一方「笹」は「ささやか」に由来しているため「ささ」となりました。
そしてタケノコにみられる「おにぎり」や「お弁当」を包む用途で知られるあの皮ですが、竹は成長するにつれその皮は剥がれ落ち、茎の表面はツルツルになります。
他方「笹」は皮が残ります。

さらに竹は節から出る枝は2本であるのに対して、笹は3本以上、5~6本というのが普通です。

また竹は寒冷地では育たず、笹は寒冷地でも育ちます。ということから「笹」は日本固有のもので海外でも「SASA」と呼ばれます。

食材としての竹

春の味覚としてポピュラーな「タケノコ」ですが、一般に流通しているものの大多数は「孟宗竹」です。
孟宗竹は肉厚でエグ味が少ないためタケノコの中では非常に扱いやすい食材です。
一方、真竹は多少エグ味が強いため必ずあく抜きをしないとならないのですが、ほんの少しだけ頭を出した状態ではエグ味も少なく刺身でも食べられるほどだそうです。本州以南ではやはりタケノコは春を感じる食材の王様かもしれません。

味覚 グルメ 筍 たけのこ

では東北以北はどうかというと、こちらは笹の仲間ですが、「姫タケノコネマガリタケ)」が6月ころから旬を迎えます。アクが少ないため皮つきのまま焼いたり、蒸したりして春の味覚として珍重されています。

姫タケノコ ネマガリタケ

竹取物語

「竹」といえば「竹取物語」が思い浮かびます。言わずと知れた「かぐや姫」の物語です。
しかしこの物語、謎多き物語で詳細を説明しようと思っても諸説入り乱れ専門家の皆さんでも様々な論争が未だに存在します。
日本の月周回衛星の名前ともなった主人公の「かぐや姫」の「かぐや」ですらその由来は様々です。

ということもあり、ここでは一般的なお話をさせていただきます。

あらすじ

学校の古文の時間や、受験勉強で「今は昔、竹取の翁といふ者ありけり」という書き出しを暗記した方も多くおられると思いますが、そのあらすじは概ね、その誕生、そして成長し男性からの求婚話、さらに月へと帰っていくという三部構成になっています。

竹取物語 かぐや姫

竹を取り、様々な生活用品を作り、それを生業としていた讃岐の造(さぬきのみやつこ)というおじいさんがいつものように山に竹を取りに出かけると一本の光る竹を見つけました。
その光る竹筒の中に小さな赤ちゃんが座っていました。
おじいさんはきっと縁のある子供に違いないと家に連れ帰り、おばあさんとその子を大切に育てました。
すると不思議なことにその後おじいさんが竹を切ると次々とその竹の中から金が出てきて段々裕福になっていきました。

その子は三か月ほどで12、3歳の大きさまで成長したので成人の儀式が行われ、朝廷に祭祀を司る人に「なよたけのかぐや姫」と名付けてもらいました。

そのかぐや姫は絶世の美女だったので天皇をも含め、多くの男性から求婚されたのですが、その志を確かめるため、それらの男性に敢えて無理難題を与えました。求婚に熱心だった五人の公達(きんだち)のいずれもその難題を叶えることが出来ず、さらには天皇の求婚まで拒み続けました。

それから三年ほどたった春の日、かぐや姫は徐々に塞ぎ込む様になり、ついに自ら自分は月の都の者であり、近々月へ戻らなければならない旨を打ち明け、かぐや姫自身も情が残り月には戻りたくないが、定めには従わずにはいられないと話しました。

それを伝え聞いた天皇も兵を送り、守ろうとしたのですが、その抵抗も叶わず月からの迎えに従いかぐや姫は老夫婦に着物と手紙を、その頃には求婚は諦めたものの文の交換を重ね心を通わせていた天皇には手紙と不死の薬を遺し、地球にいたころのすべての記憶を忘れ、月へと帰っていきました。

月に帰るかぐや姫

ちなみに余談ですが、手紙と不死の薬を遺された天皇も悲しみに暮れ、その手紙と不死の薬を焼くため、天に一番近いと言われていた駿河の山にたくさんの兵を連れて登ったことから、士(兵士)が富む山、不死をかけて「富士の山」と呼ばれるようになったという伝承も残っています。

かぐや姫と竹笋生

ここでかぐや姫の成長を読み返すとわずか三年で12、3歳の大きさまで成長したという件は、竹の成長の早さからきているのかもしれません。
実際、タケノコの成長スピードは、節ひとつひとつに生長点があるため早く、2~3ヶ月で20メートルもの高さになり、ピーク時には1日に80~100センチも伸びるといわれています。
このように竹は猛烈な速さで伸びていきます。

たけのこの成長

この成長の早さにあやかってか、「スクスク育て」という意味を込めて縁起の良い食材として「お食い初め」に供されることも多いようです。

目には青葉 山ほととぎす 初鰹

この時期「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」という俳句をよく耳にされることもあると思いますが、、江戸中期の俳人・山口素堂が春から夏にかけ、江戸の人々が最も好んだものを詠んだ俳句です。

このように春のグルメと言えばタケノコの他に「」が挙げられます。
鰹の旬は年に二回あり、春から初夏にかけて黒潮に乗って北上してくる鰹を「初鰹」と呼んでいます。
江戸時代、初鰹は庶民には「まな板に 小判一枚 初鰹」と謡われるほど、高価ではあったものの、江戸っ子の「初物好き」とともに長生きできる縁起の良い「初物」として広まりました。

その「初物」とはその旬の季節になって、初めてできた穀物・野菜・果物など、あるいは盛りの季節に先がけてとれた走りの魚類などを言いますが、その年初めて食べるものを指して言うこともあります。

そして昔から、初物(はつもの)は縁起がよく食べると寿命が75日延びると言われてきました。
この75日とされる理由には諸説あるそうですが、中国から伝わる陰陽五行説に基いた季節の区切りの考え方や、種をまき、発芽して収穫までの日数がおよそ75日であることなどがあげられています。このように、うわさ話というものはそう長く続かないというような意味で「人のうわさも七十五日」とも言われますが、ひとつの区切りとして、75日という日数が使われてきたようです。

初鰹

一方、二度目の旬である秋から冬にかけて水温の低下とともに三陸沖から関東以南に南下してくる栄養をたっぷり取り込み脂ののった鰹を「戻り鰹」といってその時期の鰹も好まれていますが、初鰹はそのさっぱりとした味わいが江戸っ子の「粋」の象徴でもありました。

結詞

冒頭にも書きましたが、新型コロナウィルスの再拡大ウクライナへのロシアの軍事侵攻など梅雨のごとく暗雲の垂れこめたような空気に包まれてしまっています。

蚕起食桑 かいこおきてくわをはむ

そんな何かとスッキリとしない微妙な時節ではありますが、暦は21日より二十四節気は「小満しょうまん)」そして七十二候は「蚕起食桑かいこおきてくわをはむ)」となります。

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