建国記念の日 | 建国記念日 | 紀元節

建国記念の日 日の丸 国旗 カレンダー 風物詩
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建国記念の日 日の丸 国旗 カレンダー

個人に誕生日があるように国にも創立の記念日があります。

その多くは、、植民地支配からの独立や革命による新しい国家の誕生したといった、近代国家が成立した日を建国記念日とする国です。
革命記念日独立記念日といった一般的な名称もあれば、中国の国慶節や韓国の光復節のように独特な呼び方もあります。
アメリカの独立宣言が発せられた日(1776年7月4日)の独立記念日は有名です。
バスチーユ牢獄襲撃の日(1789年7月14日)を記念するフランス国民祭(パリ祭)も比較的よく知られています。
またドイツでは1990年10月3日の東西ドイツの統一を記念する日がもうけられています。
お隣中国では、天安門で新国家の成立が宣言された日(1949年10月1日)が国慶節と呼ばれて記念日としています。

その一方、建国記念日をもたないイギリスのような国もあります。

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紀元節

天照大御神 アマテラスオオミカミ

日本にも国家の誕生日があります。
それは戦前、紀元節と呼ばれていた日です。

日本の国は天照大御神(アマテラスオオミカミ)孫がお治めになる国であるとの神勅により、大国主大神は国づくりされた国土を天津神国譲りなさいました。
そして、天孫である瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が天から降られ、やがてそのひ孫にあたる神武天皇が45歳のときに兄や子を集め東征(神武東征)を開始し、日向から宇佐、安芸国、吉備国、難波国、河内国、紀伊国を経て数々の苦難を乗り越え大和国を征し、畝傍山の東南・橿原の地に都を開きました。
そして初代天皇として即位しました。即位日は『日本書紀』によれば辛酉年の春正月の庚辰の朔(ついたち)、現代の暦に換算すると、西暦紀元前660年2月11日と言われています。

唱歌「紀元節」

高崎正風作詞、伊沢修二作曲

一、雲にそびゆる髙ちほの髙ねおろしに艸も木も
  なびきふしけん大御世を仰ぐけふこそ樂しけれ
二、うなばらなせるはにやすの池のおもよりなほひろき
  めぐみのなみにあみし世を仰ぐけふこそたのしけれ
三、天つひつぎの髙みくら千代よろづに動きなき
  もとゐ定めしそのかみを仰ぐ今日こそたのしけれ
四、空にかがやく日の本の萬の國にたぐひなき
  國のみはしらたてし世を仰ぐけふこそ樂しけれ

紀元節という命名は神武天皇即位紀元からきています。
それは即位の日を暦のスタートとする紀年法ですが、略して神武紀元あるいは別称で「皇紀」とも言います。
その神武天皇は、日本に伝わる古事記や日本書記などの数々の伝説や神話に登場する人物で、現在では伝承上の人物というのが通説となっていますが、皇室系図によると日本の初代天皇が神武天皇にあたり、その流れは現在まで引き継がれています。

日本のように古代の建国説話に基づく建国記念日を持つ国は、他に大韓民国の開天節(10月3日)のみです。
ちなみに韓国では「光復節」と呼ばれる日韓併合から解放され、主権を回復した日も祝われています。

建国記念の日

建国記念の日は「建国記念日」ではありません
その理由は日本では実際の建国日が明確ではなく、神話をもとに建国を祝う日として定められていました。
祝日の名称に「の」の字が入っているのは、この日が歴史的に建国された日ではなく、日本という国が建国されたという事柄、日本という国があることを記念する、という意味が反映されているのです。
ではあるものの2月11日という日付は「紀元節」を多分に意識した日であることには間違いなさそうです。
そこで現代の「建国記念の日」について少しお話しておきます。

現代の建国記念の日は、昭和41年の祝日法改正により設けられた国民の祝日で、その趣旨は「建国をしのび、国を愛する心を養う」日とされています。
この段階では建国記念の日となる具体的な日付は規定されず、政令で定めることとされていました。

紀元節は第二次世界大戦後の1948年まで祭日として人々に親しまれていました。
しかし、敗戦により日本を統治していたGHQの『初代天皇の即位に起源をもつ「紀元節」は、天皇を崇拝する日本人の団結力を高めるのではないか』という懸念により廃止されました。

その後、日本が主権を回復する「サンフランシスコ講和条約」の発効後、紀元節復活への根強い動きがあり、与野党激論の中「の」を入れる妥協案により国民の祝日に追加されました。

制定の経緯

もう少しその経緯をお話しておきます。

紀元節復活に向けた動きは、1951年(昭和26年)頃から活発になっていきました。
1957年(昭和32年)には、自由民主党の衆議院議員らによる議員立法として「建国記念日」制定に関する法案が提出されましたが、日本社会党が保守反動的行為であるとして反対したため、衆議院では可決されましたが、参議院では審議未了のため廃案となりました。

その後、9回の提出と廃案を繰り返しますが、成立には至りませんでした。

建国記念日の設置そのものと同時に、具体的に何月何日を記念日とするかについても、議論があり、日本社会党は日本国憲法が施行された5月3日(憲法記念日)、公明党の設立者である創価学会会長の池田大作はサンフランシスコ講和条約が発効した4月28日を提案し、民社党は聖徳太子が十七条憲法を制定したとされる4月3日を主張しました。

侃々諤々の議論の結果、設置に関しては、名称に「の」を挿入した「建国記念の日」として「建国されたという事実そのものを記念する日」とし、具体的な日付の決定は各界の有識者から組織される審議会に諮問するなどの法案の修正を行い、これに日本社会党も妥協し、1966年(昭和41年)6月25日、「建国記念の日」を定める祝日法改正案は成立しました。

そして学識経験者等からなる「建国記念日審議会」は、約半年の審議を経て、委員10人(答申時は9人)中7人の賛成により、日付を「2月11日」とする答申が提出されました。

結詞

建国記念の日 日の丸 国旗

いずれにしても、自分たちが当たり前のように暮らし平和を享受している国なのに、その歴史を辿っていくと知らないことや発見がたくさんあります。「建国記念の日」に、「建国をしのび、国を愛する心を養う」ためにも、日本の神話を紐解きながら、いにしえの神々に想いを馳せてみるのも一興かもしれません。
今でも生き続けている伝承から現代の私たちに示唆するものがたくさんあるかもしれません。

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