
今では新暦の3月3日にひな祭りを行われることが一般的となりましたが、現在でも一部地域では旧暦の3月3日や寒冷地など月遅れの新暦4月3日に行われれているところもあります。ひな祭りは「桃の節句」という言葉と並んで主流となっていますが、3月3日は正確には「上巳(じょうし)の節句」と呼びます。
「雨水」にひな人形を飾ると良縁に恵まれるという言い伝えもあり、この時期の晴れた日に先祖や親の愛のこもった雛飾りを出して飾り付け、共に春を迎えてみるのもいいかもしれません。
また2021年の3月3日は旧暦の1月20日にあたり、沖縄では正月の正月の祝い納めの「二十日正月(ハチカソーグヮチ)」で、那覇市辻では「ジュリ馬行列」が行われます。
ひな祭りの起源・上巳の節句
ひな祭りや桃の節句と呼ばれている3月の行事ですが、本来は「上巳の節句」といい、もともとは300年ごろの古代中国で起こったものです。
その「上巳節」は旧暦の3月の最初の巳の日に春を寿ぎ無病息災を願う厄祓いの行事でした。
その後、毎年日にちが変わるのを避けるため3月3日に固定されました。
その「上巳節」が遣唐使によって日本にもたらされ宮中行事として取り入れられたことにより貴族の子女の間でも天皇の御所を模した御殿や飾りつけをして人形で遊ぶ「ままごと遊び」と上巳節が結びついたものが起源のようです。
その厄祓いは草や紙で作った人形(ひとがた)に自らの穢れを移し川や海に流したりしたもので現代でも続いている「流し雛」の原型です。
そして春を寿ぐ宴では太宰府天満宮などでも行われる「曲水の宴」が続いています。
さらにひな祭りは「桃の節句」とも呼ばれますが、もちろん桃の花が咲くころの節句という意味もありますが、そればかりではなく「桃の木」が邪気を祓う神聖な木であるとの意味があることも忘れないでください。かつてはお酒に桃の花を漬け込んだものを現在の白酒の代わりに飲まれていました。
雛人形の飾り方
「雛」には小さく可愛いという意味を含んでいます。そしてその人形でのままごと遊びを「ひな遊び」「ひいな遊び」と呼んでいました。鳥の雛はそのいい例です。
その雛飾りは内裏びな、三人官女、五人囃子、随身、三仕丁が主だった構成です。
内裏雛
内裏雛あるいはお内裏様は男雛と女雛の一対の人形を指します。
内裏は天皇の区域を指していますので、天皇と皇后を表しています。

そこでよく迷うのはどちらを左に、どちらを右にという飾り方です。
結論から言うとどちらでも間違いではありませんが、京都では今でも伝統を守って向って右側に飾ることが多いようです。
といいますのは、古来では向って左上位でした。しかし昭和天皇が国際マナーに則り右上位としたことから左右が変わりました。
そこで注意したいことはこの左右はあくまでも天皇から見た左右ですので飾る側からみると左右が逆転するということです。わかりやすく言うと昔からの飾り方(京雛など)は向って右側、そして現代版的飾り方は向って左側に天皇である男雛を飾ります。
少しややこしい説明になりましたが、簡単な覚え方は結婚式の披露宴の際の新郎新婦の座る位置と覚えておくといいかもしれません。
ここにも西洋的なレディファーストの考え方に影響を受けたと感じるのは私だけでしょうか。
これは飾り物の中にある「右近の橘」「左近の桜」も同様です。橘は向って左側、桜は右という具合です。
三人官女

彼女たちは内裏に使える女官です。真ん中に盃を乗せた三方を盛っているのが女官長ですので中央に飾ります。そしてあと二人の女官ですがお酒の入った「加えの銚子」というものをもって口を開いている女官を向かって左に、そして「長柄の銚子」を持ち、口を閉じている女官を向って右に飾ります。
随身

一般には右大臣、左大臣と呼ばれていますが若い方が右大臣、髭をはやしている老人の方が左大臣ですので右大臣は向って左に、そして左大臣を向って右
側に飾ります。
五人囃子

向かって左から、太鼓、大皮鼓(おおかわつづみ)、小鼓(こつづみ)、笛、謡(うたい)。
覚え方は楽器が大きいものから順に左から並らべると覚えておくといいかもしれません。
三仕丁

仕丁(しちょう)は、平安時代以降に地方から労働者として、宮廷の雑用係をしていた人のことです。雛人形の中で唯一の庶民です。
一般に、関東風の雛人形では、3人がそれぞれ台傘と沓台、立傘を持っていて、京都風の雛人形では、箒と熊手、ちりとりを持っています。また、単に、怒り上戸と泣き上戸、および笑い上戸の3人を指して三人上戸と呼ぶ場合もあります。
靴を置くための台「沓台(くつだい)」を持った泣いている人が真ん中。 向かって左に、頭に被る笠「台傘(だいがさ)・日傘」を持った怒っている人。 右に、差し傘「立傘(たてがさ)・雨傘」を持った笑っている人を飾ります。
雛飾りはいつ片付ける?
さて皆さんが悩まれることに「いつ雛飾りを片付けたらいいのだろうか?」ということだろうと思います。
正月の飾りなどは地域で様々ではありますが概ねの日取りは決まっていますが、雛飾りの場合はこの日に片付けなければならないといった決まり事などはありません。
よく聞くのは「早く片付けないと嫁に行き遅れる」という言い伝えがありますが、これはまったくの迷信ですので一切気にする必要はありません。
では何故このような迷信が広まったかというと、これは現代では女性に限ったことではありませんが「片付けがきちんと出来ないようでは立派な女性になれずにお嫁さんにも行けませんよ」という戒めを込めた躾の一環だったようです。
ですから慌てて早く片付けるよりも厄を背負ってくれた雛人形さんたちには片付ける日の天候と相談しながら湿度の低い好天の日に片付けてあげる方が保管の観点からも大切です。そしてその際には防虫剤は少なめに入れるのがコツです。それは防虫剤の成分に含まれているナフタリンが飾り物などの樹脂製のものに触れると溶けだしてしまう恐れがあるからです。ひな祭りが終わって概ね二週間以内に片付けられたらいいでしょう。
それでも気になる方はひな祭りが終わったらお人形を後ろ向きにして「ひな祭りはもう終わりましたよ」とお雛様にお伝えしておくといいのではないでしょうか。

九州では各地で特色のあるひな祭りが行われています。
皆さんもご家庭で、ひな人形を愛でながら、ちらし寿司、ひなあられ、菱餅や白酒(甘酒)などを用意して春を迎える行事としてホームパーティーを開いてみるのもいいでしょう。
ジュリ馬行列

冒頭にも書きましたが、2021年は3月3日が旧暦の1月20日にあたり沖縄では「二十日正月(ハチカソーグヮチ)」です。
この二十日正月の行事として那覇市辻町界隈で行われる「ジュリ馬行列」があります。
かつては「那覇大綱挽き」「那覇ハーリー」と並ぶ那覇三大祭りのひとつとなっていましたが諸事情により一時中断されていました。
その諸事情というのは、この行列の主人公でもある「ジュリ(尾類)」と呼ばれた女性が琉球王府によって公設された遊郭で働く遊女だったことによります。
琉球時代、貧しかった農村では家庭の事情からの借金の形に已む無く遊郭に売られる娘達も多かったようです。遊郭に売られた娘達は借金を返済するまではもちろんのこと返済を終えた後でさえ実家に戻りたくとも「汚らわしい存在」として扱われ、戻るに戻れなかったのです。
遊郭にいる間は自由に外に出歩くことなどできるはずもないジュリ達が唯一外に出ることが許されたのがこのジュリ馬行列だったのです。そして見物客に紛れていた家族に元気な姿を見せることができました。
自分の娘の姿を確認した家族たちは皆、目頭を熱くしたことでしょう。
このような悲しい歴史がありながら、時代のウネリか女性団体から「売春を助長する」「遊女や公娼制度を公認する」のはおかしいという声が上がり昭和63年から12年間途絶えてしまいました。
その後地域の方たちから「伝統の継承と地域活性化、観光客誘致」という観点から復活を望む声があがり平成12年から復活しました。
ジュリ馬行列は周辺の拝所を参拝しながらドラや三線の音や「ゆいゆい」という掛け声に合わせ、華やかな紅型衣装を身に纏い、春駒(馬の頭を象った飾り)をつけてジュリに扮した女性たちが踊り練り歩きます。
観光客向けのイベント的要素も入ってはいるものの見学の際にはその裏側に潜む悲しい歴史的背景もくみ取りながら見たいものです。
ちなみに2020年は新型コロナウィルスの感染拡大防止の観点から中止を余儀なくされ、2021年のジュリ馬行列もまだ開催か中止か発表はされてはいないものの、幅広い年齢の方が参加されたり、多くの人が集まってしまうので大々的な行事にするのは厳しいかもしれません。
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