カレンダーも残り一枚、体感的にも冬本番に向っていることを感じます。
七十二候も小雪の末候「橘始黄(たちばなはじめてきばむ)となりました。
この橘(たちばな)とは、日本固有の柑橘類の『ヤマトタチバナ』を指しているそうですが古くは柑橘類の総称する語として使われていました。
この橘は一年中緑色の葉をツヤツヤと茂らせていることから「いつも変わらない永遠の象徴」として、めでたいものと扱われ宮中などに植えられてきました。
それ故か家紋や勲章のモチーフとして多く用いられてきています。
京都御所

橘と言えば「左近桜」「右近橘」というが頭に浮かんできます。特に3月の雛祭の段飾りの飾りつけの時などどちらに置くか悩むものの一つでしょう。
この左近桜、右近橘は京都御所の「紫宸殿」の正面左右に植えられているものを表しています。
京都御所は京都市上京区にあり現在では京都観光のスポットともなっていますが、平安遷都(鳴くよ鶯平安京で暗記された方も多いと思いますが延暦13年、794年)から明治なるまで南北朝時代ですら北朝側の内裏として悠久の歴史を刻んできました。
以前は春秋の数日間のみの一般公開でしたが2016年からは事前予約なしに原則月曜日以外の通年公開となりました。
さて前述の「右近橘」ですが入場門である清所門から入り順路に従って「承明門」へと進みます。その承明門より紫宸殿を望むと紫宸殿正面左に植えてあるのが「右近橘」です。 位置はあくまでも天皇から見ての右左ですのでご注意を!
橘(たちばな)
では「橘」についてもう少しお話ししましょう。
先にも書きましたが「橘」は食用柑橘類の総称でもあるのでここではヤマトタリバナ(大和橘)・ニッポンタチバナ(日本橘)について書いていきます。

ヤマトタチバナは日本固有の柑橘で絶滅危惧種に指定され、萩市に自生しているものは天然記念物にも指定されている常緑小高木です。
古事記、日本書紀には第11代天皇とされる垂仁天皇が田道間守(たじまもり・たぢまもり)を海の彼方の理想郷とされていた「常世の国(とこよのくに)」に遣わして「ときじくのかぐのこのみ」と呼ばれる不老不死の霊薬を持ち帰らせたという話が載せられています。
そのことより橘は「常世草(とこよぐさ)」とも呼ばれ不老長寿や永遠の繁栄の象徴とされることになりました。5月~6月の初夏には小さく可憐な5弁の白い花が爽やかな香りを放ち、その実は秋から冬にかけて黄色く熟します。一見私たちが日ごろ食しているミカンの小振りにした感じですがとても酸味が強くそのままでは食べられたものではありません。 そこで「虹蔵不見」の候に書いた夏みかんと同様に酢の代用品としてや、昨今ではマーマレードやジャムとして食されています。
ポン酢
橘同様、橙、柚子などの酸味が強くそのまま食すには向かない柑橘類の利用法として酢の代用品として利用すると書きましたがその最たるものが「ポン酢」ではないでしょうか。

そこで自家製ポン酢の作り方を・・・
材料
- 果汁(皮を剥いてから絞る)1/3カップ
- 醤油1/2~1/3カップ(お使いの醤油により加減してください
- 酒1/4カップ
- みりん1/4カップ
- 昆布7cmほど
- かつお節10g
- 酒・みりんを鍋に入れ沸騰させて煮切る。
- 火を止め昆布・かつお節を加える
- 醤油と果汁を種ごと加える
- 10分ほど置いてからペーパータオルなどで漉し、しっかりと絞り出す。
- 熱湯消毒した清浄な保存容器に移し、冷蔵庫で保管する
*早めに使い切るようにしたものですが、概ね数週間は保存できるようです。
鱈(たら)
手作りポン酢を使ってと言えばやはり鍋物。
前候の「朔風払葉」で鍋の主役は「白菜」と書きましたが、さらに定番と言えば「鱈(たら)ではないでしょうか。
そこで「鱈」についての蘊蓄もご披露しておきます。

江戸時代に日本の食物全般について人見必大によって書かれた「本朝食鑑(ほんちょうしょっくかん)」には「鱈は初雪の後に獲れる魚ゆえ雪に従う」とあります。 このように鱈は季節の到来を告げてくれる魚です。
通常「鱈」といえば「マダラ」を指しますが日本近海ではその他に「スケトウダラ」や「コマイ」が多く漁獲されています。
一般に「タラコ」と言われているのはスケトウダラの卵のようです。
その身はご存じの通り脂肪が少なく柔らかい白身で鍋料理はもちろんのこと干物、揚げ物、塩蔵品、練製品など多種多様に利用されています。 ちなみに鱈は漢字で「大口魚」と書かれることもあり、魚の中でも大食漢でそれ故「タラ腹食う」の語源になったという説もあります。
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