御詠歌

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九州西国霊場

九州西国霊場 第十六番札所 本吉山 清水(きよみず)寺

清水寺は、大同元年(806年)、中国留学の帰途寄錫された伝教大師最澄が、一羽の雉に導かれ入山。合歓の大木に丈六(4.8m)の千手観音を敬刻され安置したのにはじまると伝えられています。本坊庭園・鐘楼・三重塔など見どころ満載のお寺です。
九州西国霊場

九州西国霊場 第十五番札所 宇今(うこん)山 普光寺

普光寺は、弘仁14年(823年)、三毛中納言 源師親(みなもとのもろちか)が千手観音の霊示により一宇を建立したのにはじまると伝えられ、三院七坊の末寺を擁する、大寺として発展したとされています。
九州西国霊場

九州西国霊場 第十四番札所 岩殿山 雲巌(うんがん)寺

岩戸観音の通称で親しまれている雲巖寺は、九州西国霊場のなかで唯一馬頭観音を本尊にお祀りしていますが、行基菩薩自ら敬刻の「行基七観音」と称される中の一体とされる馬頭観音を安置したのにはじまると伝えられています。
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九州四十九院薬師霊場

九州西国霊場 第十三番札所 阿蘇山 西巌殿寺

インドより来朝された最栄が、聖武天皇の勅願により自ら十一面観音を刻み、これを本尊として開基されたと伝えています。西巌殿寺はもともと単独の寺院の呼び名ではなく、最栄が最初に建立した寺院を本堂として、37の僧侶の坊舎がつくられ、これらの総称が西巌殿寺です。
九州二十四地蔵尊霊場

九州二十四地蔵尊霊場 第五番札所 松霊山 十輪院

享保二年(西暦1717年)に江戸に大火災の時に小倉藩の江戸藩邸への類焼を防いだ僧の逸話が残る十輪院。以来、地元の人から火難守護の鎮火地蔵尊として信仰されています。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第六番札所 広寿山 福聚寺

第六番札所の広寿山福聚寺は北九州市小倉北区足立の自然豊かな場所にある黄檗宗(おうばくしゅう)という宗派の古刹です。秋には紅葉を見に観光客で溢れます。御本尊は「釈迦牟尼仏坐像」で、薬師霊場のご本尊が「薬師瑠璃光如来坐像」です。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第五番札所 右芳山 薬師院

薬師院は鞍手の町が一望できる荒五郎山の中腹にあります。創建は山口県の豊浦の里に願成院と称していたそうで、その後、安土桃山時代に当地に移転してきたと伝わっています。しかし、資料がないため、確かな縁起は定かではありません。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第三番札所 白馬(はくば)山 安国寺

暦応2年(1339年)足利尊氏が夢窓国師の勧めにより、南北朝の戦いに殉じた戦歿者の霊を弔うため、全国に建立した安国寺・利生塔(一国一寺一塔)の一つです。当初は、七堂伽藍を構えたが、文安元年(1444年)兵火により焼失。文明2年(1470年)再建。
九州四十九院薬師霊場

九州四十九院薬師霊場 第一番札所 龍頭光(りゅうとうこう)山 筑前 国分寺

奈良時代、天平13年(741年)聖武天皇は、国ごとに国分寺と国分尼寺の建立を命じられました。この一連の流れに従い、当寺も、筑前の国の国分寺として創立されました。当初は絢燭豪華を極める大寺院で、その広大さは現在境内にのこる大きな柱の礎石にうかがい知ることができます。
九州二十四地蔵尊霊場

九州二十四地蔵尊霊場 第二番札所 医王山 堂塔寺

永禄年間、堂塔寺のあるこの地は薬師山(現堂塔山)とも呼ばれ、おそらくは薬師如来を本尊として、一堂をなす寺でしたが、その昔、大友宗麟の兵火により廃絶されしも、弘法大師のお告げを受け、住職、川端亮貞尼により、昭和38年8月に弘法大師を本尊に中興され、現在に至っています。
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