お遍路まさ

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九州西国霊場

九州西国霊場 第二十二番札所 竹崎山 観世音寺

竹崎山観世音寺は和銅2年(709年)、行基菩薩による開基と伝えられ、本尊千手観音は、札所14番雲巖寺の本尊などと一木同作といわれる「行基七観音」の内の一体です。
九州西国霊場

九州西国霊場 第二十一番札所 清水山 見瀧寺 寳地院

清水観音の通称で親しまれている寳地院は、延暦22年(803年)、桓武天皇の勅願により、伝教大師最澄の名代として来山した比叡山黒谷、聖命上人により開創されたと伝えられています。
九州西国霊場

九州西国霊場 第二十番札所 仁比(にい)山 地蔵院

地蔵院は天平元年(729)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開基した護国寺三十六坊の一つであり、明治時代の神仏分離令でも残された寺院で、仁比山神社のすぐ隣にあります。
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九州西国霊場

九州西国霊場 第十九番札所 石垣山 観音寺

白鳳2年(673年)、天武天皇の勅願寺として創建されたと伝えられ、和銅元年(708年)行基菩薩が寄錫され、その翌年七堂伽藍が造営されました。元明天皇より「観音寺」の勅号を賜ったとされています。河童と「牛鬼の手」の伝説でも有名で、のミイラも秘蔵されています。
九州西国霊場

九州西国霊場 第十八番札所 山本山 観興寺

草野太郎常門は榧の霊木に千手観音を刻し、白雉元年(650年)堂宇を建立して「普光院」と名づけたのが観興寺の始まりと伝わります。その後、時の天智天皇より観興寺の勅号が下賜されるとともに「普光院」の勅額を賜りました。
九州西国霊場

九州西国霊場 第十七番札所 巨泉山 永興寺

人里離れた閑雅な地に建つ永興寺は、かっては叡興寺と号していたとされ、創建は、永観2年(984年)とも貞観2年(860年)ともいわれ、比叡山の僧による開山というだけで、それが誰なのかは特定できていません。虎御前建立の曽我兄弟供養塔があります。
九州西国霊場

九州西国霊場 第十六番札所 本吉山 清水(きよみず)寺

清水寺は、大同元年(806年)、中国留学の帰途寄錫された伝教大師最澄が、一羽の雉に導かれ入山。合歓の大木に丈六(4.8m)の千手観音を敬刻され安置したのにはじまると伝えられています。本坊庭園・鐘楼・三重塔など見どころ満載のお寺です。
九州西国霊場

九州西国霊場 第十五番札所 宇今(うこん)山 普光寺

普光寺は、弘仁14年(823年)、三毛中納言 源師親(みなもとのもろちか)が千手観音の霊示により一宇を建立したのにはじまると伝えられ、三院七坊の末寺を擁する、大寺として発展したとされています。
九州西国霊場

九州西国霊場 第十四番札所 岩殿山 雲巌(うんがん)寺

岩戸観音の通称で親しまれている雲巖寺は、九州西国霊場のなかで唯一馬頭観音を本尊にお祀りしていますが、行基菩薩自ら敬刻の「行基七観音」と称される中の一体とされる馬頭観音を安置したのにはじまると伝えられています。
九州四十九院薬師霊場

九州西国霊場 第十三番札所 阿蘇山 西巌殿寺

インドより来朝された最栄が、聖武天皇の勅願により自ら十一面観音を刻み、これを本尊として開基されたと伝えています。西巌殿寺はもともと単独の寺院の呼び名ではなく、最栄が最初に建立した寺院を本堂として、37の僧侶の坊舎がつくられ、これらの総称が西巌殿寺です。
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