九州西国霊場 第十九番札所 石垣山 観音寺

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九州西国霊場 第十九番札所 石垣山 観音寺 九州西国霊場
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九州西国霊場 第十九番札所 石垣山 観音寺

観音寺は白鳳2年(673年)、天武天皇の勅願寺として創建されたと伝えられ、和銅元年(708年)行基菩薩が寄錫され、その翌年七堂伽藍が造営されました。元明天皇より「観音寺」の勅号を賜ったとされています。河童と「牛鬼の手」の伝説でも全国的に有名で、その「牛鬼の手」のミイラも秘蔵されています。

九州西国霊場~より

『概略』

石垣山 観音寺
(御朱印)

創建

白鳳2年(673年)、天武天皇

宗派

天台宗

ご本尊

聖観世音菩薩立像(九州西国霊場ご本尊の十一面観世音菩薩を内蔵)・秘仏
毎年1月、5月、9月の第三日曜日に御開帳

ご真言

聖観世音菩薩:おん あろりきゃ そわか

十一面観世音菩薩:おん ろけい じんばら きりく そわか (天台宗系)

聖観世音菩薩について

別名、観音菩薩(かんのんぼさつ)とも呼ばれ、人々を常に観ていて救いの声(音)があれば瞬く間に救済する、という意味からこの名が付けられ日本でも多く信仰されました。
六観音の一つに数えられ、地獄道に迷う人々を救うとされています。
苦しんでいる者を救う時に千手観音や十一面観音などの六観音や三十三観音など、様々な姿に身を変えて救いの手を差し伸べます。
それら変化観音と区別するために変化観音に対して、変化しない観音をいい、また一番もとの観音(本来の姿の観音)という意味で、聖観音と呼ばれるようになりました。
単独で祀られることも多いのですが、阿弥陀如来の左脇侍として勢至菩薩と共に三尊で並ぶこともあります。
ちなみに般若心経は観音菩薩の功徳を説いたものです。

十一面観世音菩薩について

苦しんでいる人をすぐに見つけるために頭の上に11の顔があり、全方向を見守っています。またそれぞれの顔は人々をなだめたり怒ったり、励ましてくれたりするといわれています。十種勝利(現世利益)と四種果報(死後成仏)という様々なご利益があり、千手観音菩薩と並んで人気の高い観音である。六観音の1つに数えられ、修羅道に迷う人々を救います。
奈良時代から多く信仰されるようになり、延命、病気治療などを願って多く祀られるようになりました。
ちなみに頭上面のうち前3面を菩薩面、左3面を瞋怒面、右3面を狗牙上出面(くげじょうしゅつめん)、うしろ1面を大笑面といい、頂上に仏面を配して11面です。中には本面とあわせて11面となる場合もあります。また11面の配列が異なる場合もあります。 大笑面は、悪行を大笑いして改心させ、善の道に向かわせるといわれています。

住所・連絡先

福岡県久留米市田主丸町石垣275 TEL 0943-72-3490
(地図)

アクセス

JR久大本線「田主丸」駅より徒歩約30分・タクシーにて10分
大分自動車道・甘木インターまたは朝倉インターより約20分
駐車場有り

ご詠歌

かずかずの かたちをわけて えにしある ひとをみちびく のりおしゆなり

牛鬼伝説と手のミイラ 第十九番札所 石垣山 観音寺

白鳳2年(673年)、天武天皇の勅願寺として創建されたと伝えられ、和銅元年(708年)行基菩薩が寄錫され、その翌年七堂伽藍を造営。
元明天皇より「観音寺」の勅号を賜ったとされます。

この寺も当初は法相宗に属していたが、承和14年(847年)、慈覚大師円仁が唐より帰朝の帰途この寺に立ち寄り、伽藍の改修とともに、天台宗に改めたといわれています。

この寺の中興といわれる金光坊然廓こんこうぼうねんかく)は、後、天台宗から浄土宗へと移ったが、浄土宗開祖の法然上人より「法然なき後は聖光坊・金光坊にたずねよ」といわれるまでの高僧となり、陸奥念仏の始祖・金光上人と仰がれています。

寺のある田主丸町は、河童と「牛鬼の手」の伝説も全国的に有名です。

門の両袖には一対の仁王像が安置された仁王門をくぐると正面に本堂があります。

現在の本堂は彩色がなされ鮮やかで、江戸時代中期の建築と見られ、この地方を代表する建物です。
本堂内には、ご本尊の十一面観世音菩薩を内蔵した聖観世音菩薩が厨子に納められ安置されています。
秘仏となっていますが、毎年1月、5月、9月の第三日曜日に御開帳されます。
平素は観音様の手には御手綱(みてづな)が結ばれていて、御開帳柱に繋げられていて、御手綱と御開帳柱に触れることで、観音様と結ばれ、同じご利益を授かるそうです。

また、本堂内陣右手には平安時代に作られた桧材一木造りの毘沙門天立像が安置されています。
甲冑や衣文(えもん)の彫刻が見事な尊像です。

さらに本堂内陣左手には坐像でありながら100cmを有する不動明王像は圧巻です。
観音寺中興の祖であり、牛鬼伝説でも有名な金光上人が護摩堂(ごまどう)を創建した際の御本尊だったそうです。

その他、埋蔵紙本写経としては日本最古とされる法華経全巻(天永3年・1112年の銘)が揃ったものや牛鬼の手(ミイラ化したもの)が安置されています。

本堂での参拝を済ませ、境内に戻り、続いて本堂右手の阿弥陀堂(旧護摩堂)にお参りをします。

そして仁王門近くの遥拝観音堂に参拝します。
この遥拝観音堂は平成9年に真南の鷹取山山中にある奥之院(嶽ノ観音)が再建された際に、険しい山道で参れない方のために、遥拝観音堂を建立されました。

地蔵尊堂には、元禄期に造られたお地蔵様がお祀りされています。
古来から民間信仰の仏様として道のほとりに安置されていることが多いのですが、観音寺のお地蔵様も以前は外に祀られていたようです。
現在は地蔵尊堂のご本尊として皆様のご健康、地域の安全、さらには水子供養の仏様としてお祀りしているそうです。

金光坊然廓上人と牛鬼退治の伝説

金光坊然廓上人(こんこうぼうねんかくしょうにん)

金光房然廓上人観音寺中興の祖として崇められている人です。

上人は久留米の高良山で出家し、比叡山で教えと修行につとめた後に観音寺の住職となりました。
牛鬼退治の他にも、荒廃していた観音寺を整理し、護摩堂の建立など多くの功績を残しました。

また、上人は鎌倉を訪れた際に法然上人(源空)の弟子であった安楽房に会い、京都にて法然上人の浄土宗に入門されました。

師である法然より「法然亡き後は金光房(金光上人)・聖光(久留米・善導寺を開山)・勢観(知恩院第二世)に尋ねよ」とまでいわれていたようです。その後、陸奥(東北)地方へと赴き、布教・念仏の道を歩まれました

牛鬼退治の伝説

1062年(康平5年)晩秋のお話です。

真夜中に「ゴーン、ゴーン」と鳴る鐘の音に住職は驚いて目が覚めました。この不思議な出来事は来る夜も来る夜も起こりました。
そして、鐘の音の後、牛や馬が煙のように消えて、やがて村の娘や子供までいなくなり、村人の不安は募るばかりでした。
そこで村人たちは相談して、当時、観音寺の住職だった金光坊然廓上人の法力にすがることにしました。

上人は、宝剣を持ち、意を決して鐘つき堂に隠れ、夜中に鐘をつくものの正体をつきとめることにしました。

夜がふけると、雷雨と暗闇がすべて覆い尽くすと一陣の風と共に現れたのは、頭は牛、体つきは鬼という、体長は優に5mを超える、ものすごい怪物でした。

上人は修行を積んだ高僧でしたが、この時ばかりは全身に鳥肌が立ち足の震えをどうすることもできませんでした。
この怪物「牛鬼(うしおに)」も上人に気づき、真っ赤な口を開けて今にも飛び掛からんばかりでした。
思わず、上人はお経を唱え始めました。

すると、牛鬼は急に苦しみだし、読経と宝剣により神通力も失い、立ち上がった上人は、宝剣の鞘を払うと牛鬼の手首と耳たぶを切り落しました
その時、牛鬼はその場にしゃがみこんで泣きだしてしまいました。
「私ら山に棲む鬼は、人さまとの共存を心がけてまいりました。ところが、山を荒らすよからぬ者が谷川に毒を流し、その毒を飲んだ私奴はかくの如く頭が牛の姿に成り果てたのでございます。生きる甲斐もなく、ならばせめて人間社会に仕返しをと考えたのでございます」
と言い残すと、牛鬼は、とうとう鐘つき堂で死に絶えてしまいました。

事情を聞いて同情した上人は、その日から三日三晩、牛鬼の安泰を願って祈り続けました。
そして上人は、谷間に毒を流して、鬼を化け物にした奴が許せませんでした。
そこで上人は決断します。
切り取った手首は寺の宝として永久保存することにして、牛鬼の手首を切った我が罪が許されるかもとの思いを込めて、朝な夕な供養の経を唱えれることにしました。
そしてもう一方の耳たぶは、切り落した足代(むかしの耳納山の呼び名)の山中に埋めることにしました。

この時、牛鬼の耳をとって山頂に埋めたので、それからこの山を耳納山と呼ぶようになったとも言われています。
また、観音寺に伝わる「牛鬼の手」は、このとき切断されたものであるとされています。

南無根本伝教大師福聚金剛

境内中央には石垣山観音寺に因んで「観音寺」と名付けられたハルサザンカの原木の大株(推定樹齢350年・幹回り158cm・高さ8m)があります。
サザンカとヤブツバキとの雑種にさらにヤブツバキが戻し交雑した三倍体ハルサザンカの一品種で、国内でも2番目に古いハルサザンカだそうです。
ハルサザンカは2~3ヶ月にわたって開花し、2月末頃までお楽しみいただけます
毎年2月の中旬の日曜日にはサザンカ祭りが開催されています。

九州西国霊場 第二十番札所 仁比山 地蔵院

次回は九州西国霊場「第二十番札所 仁比山 地蔵院」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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