九州西国霊場 第二十番札所 仁比(にい)山 地蔵院

スポンサーリンク
九州西国霊場 第二十番札所 仁比山 地蔵院 九州西国霊場
スポンサーリンク
九州西国霊場 第二十番札所 仁比山 地蔵院

地蔵院は天平元年(729年)、聖武天皇の勅願により行基菩薩が開基した護国寺三十六坊の一つであり、明治時代の神仏分離令でも残された寺院で、仁比山神社のすぐ隣にあります。

九州西国霊場~より

『概略』

仁比(にい)山 地蔵院
(御朱印)

創建

開基 天平元年(729年)行基菩薩

宗派

天台宗

ご本尊

千手観世音菩薩像(九州西国霊場ご本尊)

ご真言

おん ばざら だるま きりく (天台宗系)

千手観世音菩薩について

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によってどんな願いも見落とさず、悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。
蓮華王とは泰三界曼荼羅で観音が配される場所である「蓮華部」の中で、最高位となっています。
阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

千手観音は、人々を救うための手が多い分、得られるご利益も多いと考えられています。そのため、災難除け、病気平癒などあらゆる現世利益を網羅しているのです。
そのご利益です。
厄災厄除・苦難除去・病魔退散・悪疫守護・諸願成就・平穏無事・頭痛平癒・病気(難病)平癒・奇病快癒

さらに、夫婦円満や恋愛成就、安産や子宝成就にも功徳があるとされていて、後生善処(ごしょうぜんしょと読みます。亡くなったあと来世でも幸せに過ごせることを言います。)などのご利益もあります。

また六観音(聖観音・千手観音・馬頭観音・十一面観音・准胝観音または不空羂索観音・如意輪観音)の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。
餓鬼道に生まれ変わる人は、生前に自己中心的な生活を送っていたり、欲望のままに生きていた人々で、ノドの渇きも潤せず、食べることが叶わないため渇きと餓えに苦しみ続けると言われています。

住所・連絡先

佐賀県神埼市神埼町的(いくは)1688 TEL 0952-52-4355
(地図)

アクセス

JR長崎線・神埼駅下車
昭和バス広滝・三瀬・脊振三麓行きで「比例山神社前」で下車。徒歩5分。
長崎自動車道・東脊振インターより、南の吉野ヶ里方向へ向かい、中副交差点で右折し西へ。飯町交差点で右折し北へ3分。

ご詠歌

いやしきも たかきもいざや えらびなく ただまことある みちまもるなり

祈りの聖地(第二十番札所 地蔵院)

背振山麓にある仁比山護国寺(地蔵院)は、聖武天皇勅願により行基菩薩が開基し、日吉山王宮(明治44年より仁比山神社となりました)のかつては三十六坊を数える別当寺でした。
しかし明治時代の神仏分離令でその三十六坊も次々と廃寺となり、残ったのはここ「地蔵院」だけとなってしまいました。
ちなみに山号の由来は、唐より帰朝した慈覚大師・円仁が「日吉宮」の額を地中より掘り出し、仁明天皇に奏上して、仁明天皇の「仁」と比叡山の「比」をとり「仁比山護国寺」の勅号を賜わったとされています。

行基菩薩作と伝えられる本尊・十一面千手千眼観世音菩薩立像は、天平元年(729年)、行基菩薩が草創した仁比山護国寺三十六坊の本尊としてお祀りされていました。
金泥黒漆塗りで高さ175cmの等身大立像です。
平素は秘仏となっていますが、11月15日~24日にご開帳されます。

春の新緑や秋の紅葉シーズンには近くに国の名勝の「九年庵」があるため、ごった返す県道21号線(三瀬神崎線)ですが、近くまで来るとまず出迎えてくれるのは「仁王門」で、江戸時代初期に造られた像高3mを越える金剛力士像が奉安されています。
仁比山護国寺全山を守る門として屹立している様から往時の神仏習合も偲ばれます。

仁王門を入り桜並木の参道を進むと、右手に鳴滝塾でシーボルトに学んだ、神埼(かんざき)町仁比山(にいやま)の出身で、日本最初の種痘医となった伊東玄朴が21歳まで過ごした茅葺屋根のこじんまりとした旧家県指定の史跡)があります。

さらに参道を登って行くと仁比山神社本殿に登る石段があり、地蔵院はその脇に伽藍を構えています。
地蔵院は、仁比山護国寺の中心となっていた 不動院の子院でした。
かつての不動院と地蔵院は現在の九年庵のお庭にありました。
明治維新の神仏分離のために三十六のお寺が次々と閉鎖になる際、地蔵院だけが残りました。

明治維新後、貧困の中にあった地蔵院は、実業家 伊丹弥太郎氏の提案により、伊丹氏が所有していた 三十六のお寺の1つ、吉祥院の跡地と地蔵院の土地を交換することになりました。

本堂にお祀りしてある十一面千手千眼観世音菩薩立像はじめ、かつての不動院の「不動明王」、栄西禅師仏の脊振山水上坊の「不動明王」、水掛け福徳地蔵や子育て地蔵(水子地蔵)六地蔵などたくさんの「地蔵菩薩」などがお祀りされておられます。

九州西国霊場 第二十番札所 仁比山 地蔵院

参拝後、コンパクトにまとまった境内を見学させていただくと、九州では地蔵院だけの備前石工が創った仏様のどこか人間ぽいお姿の薬師如来様。

そしてちょっとユーモラスな感じさえする三等身の六地蔵幢は、永正十四年(室町時代)に三十六坊のひとつ吉祥院の別名、寶淋坊(ほうりんぼう)とも呼ばれていたお寺の修業僧が自分の死後の冥福のために供養塔を立てました。

暖かさの満ちた諸尊の石像を味わいながらこの日のまず一ヶ寺の巡拝を終えました。

南無根本伝教大師福聚金剛

仁比山神社

仁比山神社は山の神、農業の神を祭神とし、地元の人に「山王(さんのう)さん」と呼ばれ親しまれています。12年毎に申の年(さるのとし)の4月初旬、大御田祭(オオオンダサイ)がおこなわれ、県重要無形民俗文化財である御田舞(オンダマイ)が奉納されています。
また、この神社にある樹齢800年や600年の楠の大木は、堂々たる迫力で、見る人に不思議なパワーを与えてくれています。
神社内にはモミジの古木もたくさんあり、春の新緑・秋の紅葉の時期は、すぐそばにある九年庵とともにたくさんのお客さまで賑わっています。

九年庵(旧伊丹家別邸)

明治時代の佐賀の実業家、伊丹弥太郎(イタミヤタロウ)の別邸と庭園は、「九年庵」として、平成7年(1995年)、国の名勝に指定されました。
98坪の別邸は、明治25年(1892年)につくられ、庭園は、九州で茶室や築庭において並ぶものなしといわれた名人の久留米の阿(ほとり)和尚に委託し、明治33年(1900年)から九年の歳月をかけて築いたものです。

別邸は、入母屋葦葺きの屋根に杉皮の腰張りの土壁、竹格子の連小窓(レンコマド)や真竹を用いた濡縁など、材質、色感、意匠、構造などのすべてに、細心かつ充分な吟味が加え、茶室と書院の様式を折衷した近代和風の数寄屋建築です。

庭園は、多くのツツジやモミジ、苔など様々な樹木で彩られ四季を通して美しい景色を描き出しています。
深い木立は周辺の景観とよく調和し、はるか筑紫野(ちくしの)の広がりと有明海が眺望できる借景庭園となっています。

なお、紅葉や新緑のシーズンには、期間限定で一般公開もされています。

九州西国霊場 第二十一番札所 清水山 寳地院

次回は九州西国霊場「第二十一番札所 清水山 寳地院」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

コメント