九州西国霊場 第二十五番札所 長崎山 清水寺

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九州西国霊場 第二十五番札所 長崎山 清水寺 九州西国霊場
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長崎山清水寺のご本尊の十一面観音は、京都の清水寺にあったもので、清水寺光乗院の慶順が、この尊像を護持して長崎を訪ねた時、白い光を放つ瑞光石のあるのを見つけ、ここを霊地と定めて堂宇を建て尊像を安置したのが、清水寺のはじまりと伝えられています。

九州西国霊場~より

『概略』

長崎(ちょうき)山 清水(きよみず)寺
(御朱印)

創建

元和9年(1623年) 慶順(京都音羽山清水寺の僧)

宗派

真言宗 霊雲寺派

ご本尊

千手観世音菩薩立像(九州西国霊場ご本尊)

別称

清水観音

ご真言

おん ばざら たらま きりく

千手観世音菩薩について

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によってどんな願いも見落とさず、悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。
蓮華王とは泰三界曼荼羅で観音が配される場所である「蓮華部」の中で、最高位となっています。
阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

千手観音は、人々を救うための手が多い分、得られるご利益も多いと考えられています。そのため、災難除け、病気平癒などあらゆる現世利益を網羅しているのです。
そのご利益です。
厄災厄除・苦難除去・病魔退散・悪疫守護・諸願成就・平穏無事・頭痛平癒・病気(難病)平癒・奇病快癒

さらに、夫婦円満や恋愛成就、安産や子宝成就にも功徳があるとされていて、後生善処(ごしょうぜんしょと読みます。亡くなったあと来世でも幸せに過ごせることを言います。)などのご利益もあります。

また六観音(聖観音・千手観音・馬頭観音・十一面観音・准胝観音または不空羂索観音・如意輪観音)の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。
餓鬼道に生まれ変わる人は、生前に自己中心的な生活を送っていたり、欲望のままに生きていた人々で、ノドの渇きも潤せず、食べることが叶わないため渇きと餓えに苦しみ続けると言われています。

住所・連絡先

長崎県長崎市鍛冶屋町8番43号 TEL 095-823-3319
(地図)

アクセス

JR長崎本線「長崎駅」下車。
路面電車の場合 長崎電気軌道「正覚寺下」より徒歩3分
バスの場合 長崎バス「崇福寺入口」より、徒歩3分
自家用車の場合 長崎自動車道 長崎インターよりながさき出島道路経由にて約4km
駐車場有

ご詠歌

ありがたや ながれもつきぬ きよみずの ふかきちかいは たのもしきかな

安産祈願で有名な(第二十五番札所 長崎山 清水寺)

明治、大正と、馬車道として活躍してきた旧道から清水寺を仰ぎ見ると、アーチ型の石門の中門が見えます。

九州西国霊場 第二十五番札所 長崎山 清水寺

その右脇には、寛永19年(1642年)京都の三条釜座伊豆守藤原朝臣真次が鋳造し、博多の豪商伊藤小左衛門尉吉次より寄進された梵鐘が納められた鐘楼があります。
鐘楼は明治10年(1877年)に長崎くんちで有名なお隣の八坂神社(旧宝樹山現応寺)より移築されたものとのことです。
また梵鐘は長崎に現存する日本の梵鐘では最古のものだそうです。

清水寺は、京都清水寺と同様、檀家を持たない祈願寺として、今も昔も長崎の人々の心の拠り所となってきました。
長崎の人達は親しみを込めて「きよみずさん」と呼んでいます。
商人であり、日本茶輸出貿易の先駆者として長崎三女傑のひとりとして有名な大浦慶や、坂本龍馬など、歴史上の偉人たちもこの清水寺を訪れていたそうです。

本尊の十一面観音は運慶作とも延鎮作ともいわれていますが、元は京都の清水寺にあったもので、清水寺光乗院に止住していた慶順が、この尊像を護持して全国各地をめぐりながら教えを広める中で、長崎に辿り着きました。
慶順が長崎を訪れた時は江戸時代初頭で、長崎はキリスト教信仰が強く、キリシタンによって寺社仏閣が壊され、仏教や神道は力を失っていました。
幕府としてもキリスト教は脅威であり、寺社仏閣の再興に援助を惜しみませんでした。

布教を行っていた慶順に帰依した長崎奉行の長谷川権六も「寺院の建立の志あらば、その達成に助力したい」と土地を与える申し出をしたそうです。

その寄進を受けた慶順は、寺を無事建てられるよう、毎晩、千手観音に祈願していました。
ある夜、祈願を終えて庭に出ると、東の方角に白く輝く雲のようなものを見て、何かの吉兆かと夜が明けてその場所へ行ってみると、そこに白い光を放つ瑞光石(薬師石)のあるのを見つけました。
これを「観音さまのお導き」と喜んだ慶順は、ここを霊地と定めて1623年、念願の堂宇を建て尊像を安置したのが、清水寺のはじまりと伝わっています。
その瑞光石は本堂裏手に現存していますが、清水寺を開いた後も光を放っていましたが、第四代瑞桂が「瑞光明」の文字を刻んだ後、光らなくなったと伝えられています。高さ約2.5mの安山岩です。
建物は京都清水寺の舞台になぞらえたといわれ、そのため当初は京都清水寺の末寺で、法相・真言の両宗を兼学していたそうです。

長崎の清水寺の舞台は、もともとは木造だったのですが、正保3年(1646年)、背後の風頭山から石を切り出し石垣を築き、欄干を巡らせ、板石を敷き、京都清水寺のものを模した石舞台に改築されました。

さて、建立当初の本堂は現在のお参り所にあたる部分はなく、その奥にある内陣(現在祈願を受けるためにあがるところ)だけの簡素なものでしたが、創建から4年後の寛永4年(1627年))には長崎奉行や島原藩主らの支援を受け、京都清水寺を模した本堂が建立されました。
島原城主松倉重政公により堂前に瓦が敷かれ、石欄がはり巡らされた他、寛永10年(1633)には末次船の大額が、御朱印船の船頭本庄左衛門などから奉納されたとされ、梵鐘も含め、それらは市の文化財に指定されています。

本堂は国指定の重要文化財で寛文8年(1668年)に在留唐人の何高材親子の寄付により改築され、入母屋造、本瓦葺きで、屋根の上部と下部に段差を付けて葺く錣葺き(しころぶき)となっています。

真言宗寺院の本堂であるが、開放的な構えや細部にみられる中国風の意匠などに黄檗寺院との共通性もみられます。
内陣にある入母屋造妻入りの厨子は延宝2年(1674年)の作である。

2005年(平成17年)から5年の歳月をかけ、解体を伴った修復工事が実施され、長崎県内に残る密教寺院の本堂としては最も古いものです。

本尊千手観音立像の大きさは京都清水寺本尊の10分の1清水型といわれ、二臂(腕)を頭上に掲げる独特の姿をされ、頭上には小如像を掲げています
脇侍として右手の端に毘沙門天、左手の端に勝軍地蔵王が並び、この配置は京都清水寺とほぼ同じだそうです。
また、千手観音の眷属である二十八部衆像を安置されています。

さらに、本堂の外陣奥には仏様「びんづる様」が祀られています。
清水寺のびんづるさんは右手が取り外しできるようになっており、安産祈願に来られた妊婦さんがその手でお腹をさすり安産をお祈りします。
また、病気のところを撫でると平癒すると言われることから「撫で仏様」とも呼ばれています。

本堂の参拝を終え、左手にある「大師堂」に向かいます。
内部は内陣中央に弘法大師を祀った大師堂、慶順僧都を祀った祖師堂、親鸞・阿弥陀如来像と地蔵菩薩像を祀った阿弥陀堂に分けられています。

安産の狐の伝説

長崎山清水寺は、千手観音の霊験があらたかなお寺ですが、それ以外にも安産にまつわる不思議な伝説があります。

宗派を問わず幅広い方々に合ったご利益を与えてくれるのが観音様です。観音様を信仰される方の中には女性が多く、特に大安の戌の日には安産祈願のご参詣が多いものです。
清水寺における安産祈願の由来は寺開創当初までさがのぼります。京都清水寺からの流れと考えるのが自然ですが、たくさんの言い伝えもあり「甚太郎狐」は長崎清水寺に伝えられる代表的な話です。安産祈願のご参詣の折にお買い求めいただけるよう、千手観音の真言「オン・バサラ・タラマ・キリク」を梵字で墨書きした腹帯用の晒も用意しております。

「甚太郎狐」

長崎清水寺開基の頃、金子源右衛門というものがおりました。そ の人柄の良さから皆に仏の源右衛門と親しまれ、その妻もまた観音を信仰し、毎日参拝していました。
ある日、参拝を終えて帰ろうとしているところに、白い狐が現れ、まるで夫婦を待っていたかのようにその腹を抱えて会釈をしました。 狐の体を見たところ、腹が大きく妊娠しているようでしたので、懐に抱きいれて家に連れて帰り看護したところ、それから程なくコタツ の中で子狐を産み落としました。愛情を持ってこの親子狐を介抱した夫婦は子狐を甚太郎狐と名づけ、後に寺へ帰しました。
その後、源右衛門の子孫は寺の下に住み、庭に小さな社を建てて祭り、九月三日は例祭の日として多くの子供が集まり、甚太郎狐の生先を祝うかのように戯れ遊ぶようになったそうです。

聖天堂

本堂域の参拝を終え、中門より石段を下っていくと、中ほどの山門をくぐったところに「聖天堂」があります。
本尊は普段は秘仏として公開されてはいませんが象頭人身の男天と女天の立像が向き合い抱擁している歓喜天で、。茶貿易で財を成した長崎の女傑・大浦慶も清水寺に参詣し、特に、この歓喜天に深く帰依したと言われています。歓喜天はもともとヒンドゥー神ガネーシャで、商売繁盛、夫婦和合、子授けの神としても信仰をあつめています。

南無大師遍照金剛

境内からは眼下に長崎の市街が眺め、中国風の石柱門をはじめ、本堂や前庭、灯籠などにもどことなく異国情緒が漂います。

九州西国霊場 第二十六番札所 円通山 観音寺

次回は九州西国霊場「第二十六番札所 円通山 観音寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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