九州三十六不動尊霊場 第四番札所 峨眉山 文珠仙寺

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九州三十六不動尊霊場 第四番札所 峨眉山 文珠仙寺 九州三十六不動尊霊場
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九州三十六不動尊霊場 第四番札所 峨眉山 文珠仙寺

「三人寄れば文殊の知恵」の発祥の地とされている日本三文殊のひとつです。大化4年(648年)役行者(えんのぎょうじゃ)による開基とされ、国東半島六郷満山随一の古刹です。
本尊の文殊菩薩は秘仏で、卯年の守り本尊に因んで12年に一度、御開帳されます。

『概略』

峨眉山 文珠仙寺
(御朱印)

別称

仙の不動

創建

大化4年(648年) 役行者 役小角(えんのおづの)

宗派

天台宗

ご本尊

文殊師利菩薩

(ご真言)おん あら はしゃなあ

文殊菩薩について

正式名称は文殊師利菩薩(もんじゅしりぼさつ)といいます。「三人よれば文殊の知恵」という格言があるように、知恵の神様として学業向上や合格祈願に有名な菩薩です。
モデルとなった人物が存在し、古代インドにあるコーサラ国の首都・舎衛国(しゃえこく)のバラモン階級の者だったといわれています。
仏教の経典を書物にまとめる作業などに関わったといわれています。
ただ、本来は学問などの知恵を司るのは虚空蔵菩薩であり、文殊菩薩は物事のあり方を正しく見極める力・判断力を意味する「智慧」を司っています。

釈迦如来の左脇侍として普賢菩薩と共に三尊で並ぶことが多いですが、独尊で祀られることもあります。

また、卯年の守り本尊です。卯年に生まれた人々の開運、厄除け、祈願成就を助けるといわれています。

不動明王立像(九州三十六不動尊霊場ご本尊) 客殿(不動堂)内
(御朱印)

ご真言

なあまく さあまんだあ ばあさら なん せんだん まあかろしゃな そわたや うんたらたかんまん(天台系・修験道系)

不動明王について

不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。

空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。

不動十九観とは

不動明王を心に浮かべる時、その見た目の特徴を表すもので、これを満たしたものを心に描くと理想的な不動明王の姿が描ける考えられます。

1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。

H3 住所・連絡先

大分県国東市国東町大恩寺2432 TEL 0978-74-0820
(地図)

アクセス

大分空港道路・安岐ICから約20km

ご詠歌

つみとがを やきつくさんと みほとけは ほのおのなかに たちませるかな

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日本三文珠の古刹(九州三十六不動尊霊場 第四番札所 峨眉山 文珠仙寺)

峨眉山 文殊仙寺は“日本三文殊”の一つとして1300年の歴史が今もなお受け継がれている国東半島六郷満山随一の古刹霊地です。
御本尊文殊師利菩薩は「三人寄れば文殊の智恵」のことわざにあるように智恵第一の仏として今日に至ってなお広く信仰されています。
子供の智恵授け・学業成就・合格祈願はもとより、妙(大)吉祥菩薩とよばれる由縁からも良縁成就・安産祈願の参拝者も数多く訪れています。
そのお姿は、約30cmの金銅仏で、唐獅子の背の上に、蓮花座を台座として、その上に座られておられます

彦山来歴記」によりますと、役小角が国東半島で修行中、この山を霊地と感じていたそうです。
その後、中国の五台山に登って文殊菩薩を拝した際、菩薩から「五台山に似た土地が日本にないか」と問われ、「豊州国埼郡にある」と答えると、「そこで待て」と言われました。
役小角が国東に戻り待っていると、文殊が訪れました。行者はすぐに寺院を建立したと記されています。

参道の入口には仁王像が立ち、長い石段を登ったところに山門客殿(不動堂)、鐘楼や、日本一大きいとされる高さ約9mの宝篋印塔があります。


境内からは天気の良い日には周防灘も見渡せ、また瀬戸内海を行き来する船舶の姿まで肉眼で確認することもできます。

石段を登り詰めたところの本殿・奥之院文殊堂は江戸期に幾度となく改修を重ね今日まで当時の姿を残す建築物で、時の小倉城主、細川公の寄進とされています。
また江戸期には杵築藩主松平公の特別祈願所となり寺紋に松平家の家紋(雪持ち笹)を使うことが許され、境内には二十五の堂宇が建ち並び百数十名の僧侶が生活をしていたとされ、当時の繁栄がうかがえます。
その裏手より飲むと智恵が授かるとされる「智恵の水」が岩窟から湧き出ています。

九州三十六不動尊霊場 第四番札所 峨眉山 文珠仙寺

さらに進むと本尊の文殊菩薩が安置される本殿奥の院文殊堂があります。
ご本尊の文殊師利菩薩は通常は秘仏で、第二次世界大戦前は33年に一度、戦後は文殊菩薩が卯年生まれの守り本尊ということにちなみ12年に1度卯年の春・秋大祭において御開帳されるそうです。

そして文殊仙寺では六郷満山開山千三百年祭に際し、比叡山より特使を迎え「不滅の法燈」の分灯を受けられました。
恒久的に不滅の法燈をお守りするのは六郷満山では初めてのことだそうです。
「油断」という言葉の由来であるように、毎日まさに油断のないように心掛けて菜種油を注ぎ足し、寺宝として護られておられるそうです。

南無根本伝教大師福聚金剛

国東半島の懐に抱かれた、文殊仙寺の境内にある宿坊「妙徳庵」。「妙徳」とは文殊仙寺の本尊である文殊菩薩の別名です。寺の宿泊所は通常「坊」と呼ばれることが多いですが、それは本来、僧侶の寝泊まりする場所や参拝者が心身を清めるを意味するため、 一般の参拝者も心やすく宿泊できるように「庵」と名付けました。
本殿 奥之院にて守り続けられている「不滅の法灯」より火を灯し、朝のお勤めが始まります。宿泊時には写経体験座禅体験護摩祈祷ができます。
滞在中は宿坊が用意した作務衣に着替えてお過ごせます。作務衣は部屋着としてだけでなくお勤めの際にも身を包み、使用後は宿泊記念に持ち帰ることができます

最後に来年2023年の干支は「卯」
12年の一度の御開帳の年にあたります。この機会に是非ご参拝をご検討になったらいかがでしょうか。

九州三十六不動尊霊場 第五番札所 夷山 実相院

次回は「九州三十六不動尊霊場 第五番札所 夷山 実相院」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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