九州三十六不動尊霊場 第二番札所 大獄(おおたけ)山 神宮寺

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九州三十六不動尊霊場
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神宮寺は両子山の東側にそびえる標高560mの大嶽山の中腹に位置します。宇佐神宮関係の別当格として建立されました。神宮寺は神と仏を合わせ持った神仏習合で、六郷満山のほとんどが神仏習合となっており、寺々の境内には鳥居があります。

『概略』

大獄山 神宮寺
(御朱印)

別称

大獄(おおたけ)不動

創建

養老元年(717年) 仁聞菩薩
弘治2年(1556年) 豪謙 中興開山

宗派

天台宗

ご本尊

不動明王立像(九州三十六不動尊霊場ご本尊)

ご真言

なあまく さあまんだあ ばあさら なん せんだん まあかろしゃな そわたや うんたらたかんまん(天台系・修験道系)

不動明王について

不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。

空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。

住所・連絡先

大分県国東市国東町横手8378 TEL 0978-72-40660978-72-4066
(地図)

アクセス

大分空港道路安岐インター経由30分
駐車場あり

ご詠歌

ふんぬの ふどうのいとくは おおたけに かみやほとけのいます じんぐうじ

他の霊場札所

宇佐神宮六郷満山霊場 第二十五番札所
国東六郷満山霊場 第三十番札所

山岳修行の歴史とどめる(第二番札所 神宮寺)

神宮寺と名前からも見られるように、宇佐神宮と深い関係を示す寺院であり、養老元年(717年)仁聞菩薩により開基されました。
しかもその別当格として高い寺格を誇ってきています。

その神宮寺も明治43年の修正鬼会の際に松明の火が講堂に燃え移り、安置されていた仏像もろとも火難に遭ってしまいました。

悲運に見舞われた仏像は、現在8体が本堂向かいの「収蔵庫」にお祀りされていて、希望者には公開されています。
修正鬼会の残り火で御堂が火事になった際に何とか焼け残った仏像で、どれも立派な仏像であったことは一木造の大きさから想像できます。
その中心に祀られているのが、像高2.85mあったであろう薬師如来像だと推定されています。

その他、収蔵庫には、密教法具懸け仏修正鬼会面なども収められています。
中でも密教法具は4人の僧侶が同時に使えるほどの数があり、スケールの大きな護摩修法が執り行われたことが想像できます。
また懸け仏は円形の銅板に半肉彫りの仏像が取り付けられていて、山に籠り修行する際には持ち運びができるもので当時の山岳修行の一端を垣間見ることが出来ます。

話が本題から少し離れましたが、
本堂にお声掛けして堂内に入るとなぜか田舎の実家に帰ったようなホッコリとした安らぎを感じさせてくれます。
その内陣にご本尊の不動明王がお祀りされています。

その尊像は痛みがあまりにも激しかったので修復されたそうですが、もともとは江戸時代中期の作だそうです。
岩場に上に二童子を従えて、すくっと立つそのお姿はすがすがしさすら感じます。

参拝を終えて、本堂の裏手の苔むした風情のある石段を上がっていくと総高3.34mある立派な国東塔があります。
天を突きさすように先端の相輪が長く伸びた独特の形状をしています。

国東半島は石造美術の宝庫といわれるように、その国東島以外の多くの石仏が点在しています。
その石仏を拝見しながら登り詰めると奥の院(六所権現)祀られています。
あの火難にあった旧講堂の跡地横にあります。

南無根本伝教大師福聚金剛

静寂とゆったりとしながらも凛とした空気に包まれた神宮寺でしたが、国東半島の独特の仏教感がひしひしと伝わってくる巡礼でした。

九州西国霊場 第7番札所「宝籠(ほうろう)山 宝満寺」

次回は九州西国霊場 第7番札所「宝籠(ほうろう)山 宝満寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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