天長寺は天文7年(1538年)、都城島津家第8代領主・島津忠相公により島津家の祈願道場として創建されました。現在天長寺があるあたりは、かつて千尺の老松が生い茂り、流水の絶えない場所であったと記録に見え、そのため山号を松林山(しょうりんざん)と号しています。創建以来、都城随一の寺院として隆盛を誇っていましたが、明治元年の廃仏毀釈によって破壊され、堂舎と共に多くの法物を失ってしまいました。
その廃仏毀釈の難をかろうじて逃れた石仏群は、現在都城市の有形文化財に指定されています。静かにたたずむ阿弥陀如来・不動明王・地蔵菩薩や歴代住職の墓石等は、かつての隆盛を伝えると共に、現在も信仰を集める仏様の力強さを見せてくれます。
『概略』
松林山 天長寺
(御朱印)
創建
天文7年(1538年)島津忠相公 開基
宗派
高野山真言宗
ご本尊
四臂不動明王 (秘仏)
ご真言 のうまく さんまんだ ばざらだん せんだまかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん
(お御影)
不動明王について
不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。
空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。
不動十九観とは
不動明王を心に浮かべる時、その見た目の特徴を表すもので、これを満たしたものを心に描くと理想的な不動明王の姿が描ける考えられます。
1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。
住所・連絡先
宮崎県都城市都島町1300 TEL 0986-22-6042
(地図)
アクセス
JR日豊本線都城駅からバス大岩田下車、徒歩5分
48番弘法寺方面から平和公園、細山田交差点を経て、国道269号線を北上。
国道10号線と交わるところを左折し、橋を渡って右折する。
境内の前方に駐車場あり
ご詠歌
観世音 大慈大悲をうけてまて 天地長久の 国家安全
歴史に翻弄されて…(第四十一番 天長寺)
都城は、神々が降臨しその頂に天の逆鉾が突き刺さっている高千穂の峰が最も美しく眺めることが出来ると言われています。
かつて老松が茂り、行者が修行していたところと伝わるところに天長寺はあります。
建物は民家風のため寺標が無ければ気づかずに通り過ごしてしまいそうです。
天長寺の創建は天文7年(1538年)、島津忠相が舜叡和尚を招き島津家の祈願道場として天満宮とともに建立されたのが始まりと言われています。
三代舜融が聖観音を奉安していて、かつて都城周辺には三十三観音巡礼があって、この天長寺が結願寺だったそうです。(現在は廃絶し札所の所在は定かではありません)
ご詠歌に「?」と感じられた方もいらっしゃたと思いますが、ご詠歌もその時代のものであり、境内には観音堂もあり三十三番の札が掲げられていて往時をしのぶことが出来ます。
現在のご本尊は不動尊ですが、秘仏となっていて、通常は拝観することが出来ませんが、その作例が極めて少ない四臂(腕が四本)の不動尊で、しかも銅板に線彫りで姿を表している非常に珍しい尊像だそうです。
南無大師遍照金剛
当時、護摩堂には恵心僧都作の不動尊が安置されています。
その不動尊は古くは梅北の谷に祀られていましたが、ある日野火によりお堂が焼失してしまいましたが、その後、猟師が犬を連れて猟をしていたところ、桜の木の下で犬が吠えだしたので見上げると不動尊が坐していたそうです。
そこでその不動尊は天長寺に安置され、坐しておられた桜の木を不動桜と呼ぶようになりました。
次回は九州八十八ヶ所百八霊場第四十二番札所「八幡山 弘泉寺」をお伝えします。
願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌
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