九州八十八ヶ所百八霊場 第十九番札所 慈眼山 普門院

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九州八十八ヶ所百八霊場
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町の中の寺院には珍しく緑の中に鎮まった寺院で、樹木に囲まれた中に本堂がありす。この本堂は江戸時代の建築で、とても趣のある本堂です。
ご本尊は如意輪観世音菩薩で、私たちの願いを「意の如く」かなえて頂ける御本尊様で、秘仏となっています。
毎年8月9日の千日観音は一日で千日参拝したのと同じ功徳があるといわれており大変賑わいます。
九州八十八か所百八霊場~九州を周る「心巡り」の旅~より

『概略』

慈眼山 普門院
(御朱印)

創建

大正年間(1573~1592)に黒田孝高(如水)が中津城を造営した時、城下の守護のため大江川に沿って寺町を設け、その南の端に「観音堂」を建立ししたのが寺の始まりと伝わっています。
明治の廃仏毀釈により一時荒廃しましたが、大正時代に入り円海大和尚の布教によって観音信仰と大師信仰の霊場として復興しました。

宗派

高野山真言宗

ご本尊

如意輪観世音坐像(九州八十八ヶ所百八霊場ご本尊)
(お御影)

ご真言

おん はんどめぃ(ま) しんだまに じんばら うん
おん ばらだはんどめい うん

如意輪観世音について

如意輪観音は六(あるいは七)観音の一つで、人々に金銀財宝を与え、その上それを得たのちに精神の幸福までもたらしてくれるという有難い観音様です。その持物は全ての願いを叶えると言われる「如意宝珠」と仏教そのもの象徴であり、煩悩を打ち砕く武器でもある「法輪」であり、そのお心を示しておられます。
多くの座像では、左ひざを立てて座り、これからどのように人々を救おうか考えている様子を表している思惟手(しゆいしゅ)と言われる手を頬に添えるお姿をよく見かけることが出来ます。

住所・連絡先

大分県中津市寺町978 TEL 0979-22-1851
(地図)

アクセス

JR日豊本線 中津駅下車。徒歩5分
国道10号線吉富町直江交差点より中津市街方面へ。
山国川を渡り、福岡銀行と大分銀行の間を入り、最初の信号を右折。
境内手前に駐車場有

ご詠歌

三毒を 六道の行に導かれ 無情を越える 今日のうれしさ

歴史の町並みに佇む(第十九番 普門院)

大分県中津市は、頼山陽が「耶馬渓山天下に無し」と称賛した耶馬溪は紅葉の名所としても名高いが、その渓谷から流れ出る清流の山国川が周防灘に注ぐところに開かれた城下町です。
街のあちらこちらに歴史を感じさせてくれる町並みが広がっています。
またここは、民主文化の先駆者としても知られている福沢諭吉が育った地でもあります。現在でも諭吉が過ごした家と勉学に励んだ土蔵が普門院の近くに現存するそうです。

普門院がある寺町は、黒田孝高が中津城を造営した際に、城下を守るために作られたといわれ、そのためか界隈は敵からの防御の意味もあってか、道が狭く入り組んでいます。
その寺町の南端に位置するところにあるのが普門院があります。
その歴史は古く、寺町造営の際に観音堂を建立したのが始まりと伝えられています。
普門院は最も中津駅に近く、この寺より北に多くの寺院が立ち並んでいます。

普門院の境内は、決して広いとは言えませんが、市街地にある寺院とは思えないほど、木々の緑の中に鎮まっています
山門はありませんが、数段の石段を昇った右奥に入母屋造の本堂があります。
世辞にも立派な建物とは言い難いですが、江戸時代の建物だそうで堂内の柱も黒ずんでいて、歴史を強く感じさせてくれる趣があります
内部はうす暗いものの、開放的な空気が漂い、救いを求めてくる者に広く開かれている感じがしました。

ご本尊の如意輪観世音秘仏のため、厨子の中に安置されているため直接拝むことは出来ませんが、八月九日の千日観音は、一日で千日参拝したのと同じ功徳があると言われ、寺町七観音めぐりが行われ、多くの方で賑わうそうです。
ちなみに観音巡りの第一番札所がここ普門院です。

ご本尊が安置されている厨子の両脇には、昔、殿様の馬が病気になった時に普門院の住職の祈祷によって快癒したので奉納された馬の像が安置されています。

南無大師遍照金剛

ご住職の奥様だろうか、非常に気さくな方で、中津のご案内などもしていただき、仄々とした気持ちで参拝することが出来ました。
参拝後は、ご案内に従って、次の巡拝があるので限られた時間ではありましたが、寺町界隈を散策し、中津の歴史の一端に触れるひとときを過ごすことも出来ました。

次回は第二十番札所「桔梗山 三明院」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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