九州二十四地蔵尊霊場 第二番札所 医王山 堂塔寺

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九州二十四地蔵尊霊場 第二番 医王山 堂塔寺 九州二十四地蔵尊霊場
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九州二十四地蔵尊霊場 第二番 医王山 堂塔寺

永禄年間、堂塔寺のあるこの地は薬師山(現堂塔山)とも呼ばれ、おそらくは薬師如来を本尊として、一堂をなす寺でしたが、その昔、大友宗麟の兵火により廃絶されしも、弘法大師のお告げを受け、住職、川端亮貞尼により、昭和38年8月に弘法大師を本尊に中興され、現在に至っています。

九州二十四地蔵尊霊場会~より

『概略』

医王山 堂塔寺
(御朱印)

別称

島津のお地蔵さん
身代わり地蔵尊(病気、事故、受験等、様々なご利益によって救済してくださる地蔵尊)

中興

昭和38年(1963年)年 川端亮貞尼

宗派

真言宗

ご本尊

弘法大師

霊場ご本尊

身代り地蔵菩薩(本堂右手・薬師堂内)

ご真言

おん か か か び さんま えい そわか

地蔵菩薩について

大きな慈悲の心で人々を包み込んで救うといわれています。弥勒菩薩が56億7000万年後に現世に出現するまではこの世には仏がいない状態とされているため、その間命あるものすべてを救済する菩薩です。閻魔大王の化身であるともいわれ、この世で一度でも地蔵菩薩に手を合わせると身代わりとなって地獄の苦しみから救うとされ人々から信仰を集めました。
また他の仏とは違い、人道など六道を直に巡って救済を行うとされ、親しみを込めて「お地蔵さま」の名で呼ばれています。
日本では、六地蔵像は墓地の入口などによく6体の地蔵が祀られています。
仏教では六道輪廻と呼ばれ、六道のいずれかに転生しているご先祖様や故人を導いてもらうために、それぞれ1体ずつが各世界を担当して見守ってくださっています。
また日本においては、浄土信仰が普及した平安時代以降、極楽浄土に往生の叶わない衆生は、必ず地獄へ堕ちるものという信仰が強まり、地蔵に対して、地獄における責め苦からの救済を欣求するようになったそうです。

お姿は出家僧の姿が多く、六道をめぐりながら、人々の苦難を身代わりとなり受け救う、代受苦の菩薩とされました。
際立って子供の守護尊とされ、「子安地蔵」と呼ばれる子供を抱く地蔵菩薩もおられます。そのため小僧姿も多いです。

ちなみに六道とは、人道・天道・地獄道・餓鬼道・畜生道・修羅道からなる世界で成り立っています。

天道

天道は天人が住まう世界。天人は空を飛ぶことができ、享楽のうちに生涯を過ごすが、死を迎える時は5つの変化と苦しみが現れ、これを五衰(天人五衰)と称し、体が汚れて悪臭を放ち、脇の下から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の髪飾りが萎み、楽しみが味わえなくなるそうです。

人間道

人間道は人間が住む世界で四苦八苦に悩まされます。
『往生要集』の徳川家康の旗頭にも書かれている「厭離穢土(おんりえど)」では「苦しみの相」・「不浄の相」・「無常の相」と、三つの相があると記されています。

修羅道

修羅道は阿修羅が住み、終始戦い争うために苦しみと怒りが絶えない世界だそうです。

畜生道

畜生道は鳥・獣・虫など畜生の世界。
種類は約34億種で、苦しみを受けて死ぬそうです。

餓鬼道

餓鬼道は餓鬼の世界で腹が膨れた姿の鬼になると言われています。
餓鬼は36種類に分類されていると言われ、旧暦7月15日の施餓鬼は餓鬼を救うために行われます。

地獄道

地獄道は罪を償わせるための世界で、地下の世界で、『往生要集』などにも「上下に八層重なっている」と記述されています。
賽の河原で、獄卒(鬼)に責められる子供を、地蔵菩薩が守る姿は、「西院河原地蔵和讃」を通じて広く知られるようになり、子供や水子の供養において地蔵信仰を集めました。
関西では地蔵盆は子供の祭りとして扱われています。

住所・連絡先

福岡県遠賀郡遠賀町若松2504 TEL 093-293-0209
(地図)

アクセス

JR鹿児島本線「遠賀川」駅下車。
タウンバスにて「競艇場前」下車、徒歩3分
境内に駐車場有

ご詠歌

身代りの 救いは永久に 地蔵尊 すがる心に ひびく錫(しゃく)の音(ね)

月軒長者伝説と目洗い井戸(第二番札所 医王山 堂塔寺)

永禄年間、この地は薬師山(現堂塔山)とも呼ばれ、おそらくは薬師如来を本尊として、一堂をなす寺であったと推測されますが、大友宗麟の兵火により廃絶され、その資料もほとんどが消失してしまった現在ではあくまでも推測に域を抜け出せません。

現堂塔寺の門前の道を遠賀川沿いに150mほど下ったところに堂塔寺趾があり、 その背後の林の中に「目洗井」が現存しています。
その井戸には
「昔、朝日長者または月軒(つきのき)長者という者に一人の女子いて、眼を病みて堂塔寺の薬師如来に祈りました。すると薬師如来から「この井戸にて眼を洗うべし」と夢告がありました。そこで即刻その井戸にて目を洗ったところ、たちまち目の病が平癒しました。それ故にその井戸に「目洗いの井戸」名付けました」
という伝承があります。

さて時を経て、この地に移り住んだ川端家の嫡子利夫氏に嫁いだ川端ハツさんが嫁いでこられました。

川端ハツさんは、幼い頃より身体が弱く信仰心が厚い人でした。
ある夜、夢に月軒長者の一人の女子が顕れ
『堂塔寺を再興すべし。 さすれば汝に衆生済度の願力を与えるであろう』
との霊告がありました。
そしてさらに別の夜に再び弘法大師より
『薬師如来および地蔵菩薩その他の菩薩を世に出し衆生済度せよ』
とのお告げも受け、ハツさんはお告げに従い難行苦行修験修行道をきわめることとなり、 昭和30年、伊津野亮賢師について得度し、 僧名を川端亮貞師となりました。
これより亮貞尼は遂に衆生済度の願力を得て、 廃寺より数えて400余年を経て、 ここに堂塔寺を再興するに至りました。

現在、本堂には本尊弘法大師、大日大聖不動明王が祀られていて、薬師堂には薬師如来、地蔵菩薩および諸仏が祀られれています。

南無大師遍照金剛

堂塔寺は芦屋の遠賀川沿に伽藍を構えているため、門前の遠賀川はプレジャーボートの係留場になっていて、 休日ともなれば釣り糸を垂れる人も多いです。
また、本堂裏手には、広い庭園・お滝場もあり、そのすぐ裏手は、芦屋ボートレース場です。

次回は九州四十九院薬師霊場 第一番札所「龍頭光(りゅうとうこう)山 筑前 国分寺」をお伝えしていきます。

九州四十九院薬師霊場 第一番札所 龍頭光山 筑前 国分寺

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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