九州三十六不動尊霊場第七番札所 大岩屋山 應暦寺

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九州三十六不動尊霊場
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九州三十六不動尊霊場第七番札所 大岩屋山 應暦寺

應暦寺は山号を大岩屋山といい、国東六郷満山中山本寺の名刹で、養老2年(718年)仁聞菩薩によって開かれたと伝えられています。
所蔵されている石仏・石造品は量・質ともにまとまり国東半島中、特殊な石造品を見ることが出来るため、石仏の寺として有名です。

『概略』

大岩屋山 應暦寺
(御朱印)

別称

慈相不動

創建

養老2年(718年) 仁聞菩薩

宗派

天台宗

ご本尊

千手観世音菩薩立像

ご真言

おんばざら だるま きりく

千手観音について

別名 千手千眼観自在菩薩(せんじゅせんげんかんじざいぼさつ)とも言い、生きとし生けるものすべてを漏らさず救う、大いなる慈悲を表現する菩薩です。千の手と手のひらの千の眼によってどんな願いも見落とさず、悩み苦しむ衆生を見つけては手を差し伸べる広大無限な功徳と慈悲から「大悲観音」、または観音の王を意味する「蓮華王」とも称されます。
蓮華王とは泰三界曼荼羅で観音が配される場所である「蓮華部」の中で、最高位となっています。
阿修羅や金剛力士などが属する二十八部衆を配下とします。

千手観音は、人々を救うための手が多い分、得られるご利益も多いと考えられています。そのため、災難除け、病気平癒などあらゆる現世利益を網羅しているのです。
そのご利益です。
厄災厄除・苦難除去・病魔退散・悪疫守護・諸願成就・平穏無事・頭痛平癒・病気(難病)平癒・奇病快癒

さらに、夫婦円満や恋愛成就、安産や子宝成就にも功徳があるとされていて、後生善処(ごしょうぜんしょと読みます。亡くなったあと来世でも幸せに過ごせることを言います。)などのご利益もあります。

また六観音(聖観音・千手観音・馬頭観音・十一面観音・准胝観音または不空羂索観音・如意輪観音)の一つに数えられ餓鬼道に迷う人々を救うといわれています。
餓鬼道に生まれ変わる人は、生前に自己中心的な生活を送っていたり、欲望のままに生きていた人々で、ノドの渇きも潤せず、食べることが叶わないため渇きと餓えに苦しみ続けると言われています。

不動明王立像(九州三十六不動尊霊場ご本尊)

不動明王坐像(九州三十六不動尊霊場ご本尊)

ご真言

なあまく さあまんだあ ばあさら なん せんだん まあかろしゃな そわたや うんたらたかんまん(天台系・修験道系)

不動明王について

不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。

空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。

不動十九観とは

不動明王を心に浮かべる時、その見た目の特徴を表すもので、これを満たしたものを心に描くと理想的な不動明王の姿が描ける考えられます。

1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。

住所・連絡先

大分県豊後高田市大岩屋401 TEL 0978-53-4427
(地図)

アクセス

宇佐別府道路宇佐ICから約40分
門前に駐車場あり

ご詠歌

たえまなく いわやをてらす ふどうそん すくうちかいの こえぞきこえん

他の霊場札所

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盛りだくさんの石仏や摩崖仏の石佛の寺(第七番札所 應暦寺)

應暦寺は山号を大岩屋山といい、国東六郷満山中山本寺の名刹で、養老2年(718年)仁聞菩薩によって開かれたと伝えられています。現在の地には寛永2年(1625年)、両子寺で修行した僧、澄慶によって中興されました。
石段を登るとまず目に飛び込んでくるのは「薬医門」と呼ばれる山門で、瓦の重みでバランスをとった大変珍しい作りとなっています。
その山門をくぐると、仏の世界である曼荼羅石畳(おがみ石)が本堂まで続きます
曼荼羅の中央の大日如来が配されているところに立つと、大日如来の聖なるパワーがいただけると、昨今流行りのパワースポットとなっているようです。

境内には、三十三躰観世音堂前阿吽の仁王像は、まるで電話でもしているかのように見えるユーモラスなお姿で、訪れる参拝者を楽しく迎えてくれます。
その他にも山門の1対の石灯篭の脚の部分の仁王像隠れキリシタン五輪塔聖徳太子の石像マリア様が頭巾をかぶったような役行者に石像、地蔵像、馬頭観音像、子安観音像など、まるで石像のテーマパークのようで、石仏を拝観することが目的で、多くの人が訪れています。


とりわけ堂内に寺宝とされている「燈明石(神前や仏前に献じる灯籠)」は、石太鼓を二人の比丘(びく)の一人は背負い、もう一人は後ろから支える姿を表していて、とってもユーモラスです。
灯明として使用する時は、その石太鼓の両面に障子を貼るそうです。

しかし、その多くは、かつては境内に点在していたものですが、屋外に野ざらしの状態で置けば、酸性雨や風雨で石と言えども溶けていってしまいます。
また、心ない輩によって持ち去られる危険もあります。
大切な歴史的文化財を、より長く残し見てもらうために本堂内へ保管する事としたそうだ

その本堂に入ると、千手観世音菩薩立像を本尊とし、2体の不動明王像を主尊として祀られています。
大きい坐像の方は、かつての應暦寺の本尊で不動堂より遷座した平安時代のもので、製法が珍しく、茅の木の一木造りで刻まれており、県の有形文化財に指定されています。
また、像高1mほどの立像の方は、かつての講堂の本尊で、室町時代の作だそうです。

千手観音は神仏習合時代からの本尊で、六所神社に安置されていたものだそうです。

その他にも、比叡山延暦寺に奉安されていた阿弥陀如来、聖観音菩薩、妙見神などが合祀されています。

さて参拝を終えて境内に戻ると、本堂に向かって左手奥に六所権現社への上り坂があり奥の院・六所権現社につながっています。


六所権現社には六観音・六地蔵を祀る「堂の迫磨崖仏」(県指定文化財・室町時代)があります。石仏フルコースの最後の締めといった感じです。

南無根本伝教大師福聚金剛

このように所蔵されている石仏・石造品は量・質ともにまとまり国東半島中、特殊な石造品を見ることが出来るため、石仏の寺として知られているのも頷けます。
こちらのお不動様は、戒めるというより慈しむという感じで、今でも心に残るお不動様です。

次回はお待たせしておりました、九州西国霊場 第七番札所「宝籠山 宝満寺」をお伝えしていきます。

九州西国霊場 第七番札所 宝籠山 宝満寺


なお、「九州三十六不動尊霊場第八番札所 桔梗山 三明院」は九州八十八所百八霊場 第二十番札所」と重複しておりますので、こちらをご参照ください。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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