九州三十六不動尊霊場 第六番札所 小岩屋山 威王山(いおうざん) 無動寺

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九州三十六不動尊霊場
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九州三十六不動尊霊場 第六番札所 小岩屋山(威王山)無動寺

黒土耶馬を背景に仁聞菩薩により開基された六郷満山中山本寺の一つです。修行・祈祷の道場、満山の記録所として栄えていました。最盛期には末寺12坊を擁したと言われています。
ご本尊の不動明王は「黒土不動」と呼ばれ、慈悲相のお不動様です。

『概略』

小岩屋山 威王山(いおうざん) 無動寺
(御朱印)

別称

H3 別称

黒土(くろつち)不動

創建

養老2年(718年) 仁聞菩薩

宗派

天台宗

ご本尊

不動明王坐像(九州三十六不動尊霊場ご本尊)

ご真言

なあまく さあまんだあ ばあさら なん せんだん まあかろしゃな そわたや うんたらたかんまん(天台系・修験道系)

不動明王について

不動明王は、密教の教主、大日如来が衆生教化のため変身した明王の中では最高位の仏様です。
普段は柔和な大日如来が、優しさだけでは通用しない人々を救済するために、あえて怒りの形相をしています。
邪悪な相手には徹底的に厳しく、人が間違った道へ進もうとした時には、正しい道へと戻れるように諭してくれる存在です。
迷いの世界から煩悩を絶ちきり、仏の道を教えてくれる尊い存在なのです。

空海が日本にもたらした最初のお姿は両目を見開く恐ろしい形相で、おさげ髪のお姿でした。その後19世紀になると、「不動十九観」が定められ左目をやや閉じ、右目を開ける天地眼、上唇を下歯で噛み下唇を上歯で噛むといった特徴となりました。
そして倶利伽羅剣という宝剣と悪い心を縛り上げることにより、善き心を呼び起こさせるための羂索と呼ばれる網をもっておられます。
さらに背後には炎が立ち上げる火焔光背があります。

不動十九観とは

不動明王を心に浮かべる時、その見た目の特徴を表すもので、これを満たしたものを心に描くと理想的な不動明王の姿が描ける考えられます。

1.大日如来の化身であること。
2.真言中に「ア」・「ロ」・「カン」・「マン」の四字があること。
3.常に火生三昧に住していること。
4.童子の姿を現わし、その身容が卑しく肥満であること。
5.髪の毛の上に七沙髻があること。
6.左に一弁髪を垂らすこと。
7.額に水波のようなしわがあること。
8.左の目を閉じ右の目を開くこと。
9.下の歯で右上の唇を噛み、左下の唇の外へ出すこと。
10.口を固く閉じること。
11.右手に剣をとること。
12.左手に羂索を持つこと。
13.行者の残食を食べること。
14.大磐石の上に安座すること。
15.色が醜く、青黒であること。
16.奮迅して忿怒であること。
17.光背に迦楼羅炎かるらえんがあること。
18.倶力迦羅竜くりからりゅうが剣にまとわりついていること。
19.矜羯羅童子と制多迦童子の二童子が侍していること。

H3 住所・連絡先

大分県豊後高田市黒土1475 TEL 0978-53-4895
(地図)

アクセス

宇佐別府道路宇佐ICから約23km、40分。
門前に駐車場あり

ご詠歌

くろつちの みのりのやまに みがわりの ふどうはおはす じひのすがたで

他の霊場札所

宇佐神宮六郷満山霊場 第十三番札所
国東六郷満山霊場霊場 第十番札所

慈悲相のお不動さん(第六番札所 小岩屋山 威王山(いおうざん) 無動寺)

*参考資料に小岩屋山と記載されている場合や威王山と記載されているものもあり、本記事では両方を併記させていただきました。
ただ現在では、もとの本堂は現在の位置よりも下流の下黒土、通称小岩屋にありましたので山号を小岩屋山と号しているようです。

養老2年(718年)に仁聞によって開かれたと伝えられる古刹で、六郷満山の中山本寺として栄え、最盛期には伽藍規模は50~60あったといわれ、末寺が12坊あったと伝わっています。
また、常に100名あまりの僧が修行に励んでいたと言われています。
現無動寺の場所は、古代から中世には黒土石屋と呼ばれる寺院で、旧無動寺は現在地より西側1.5kmほどの所に下黒土の身濯神社にあり、大友末期の動乱の被災で衰微しましたが、円舜和尚により江戸時代中期に移転、再興されたことが分かっています。

本堂には3つの区画があって、中央の区画に本尊の不動明王坐像をはじめ二童子、大日如来坐像、弥勒菩薩坐像、向かって右手の区画には日光・月光両菩薩、十二神将を従えた薬師如来、そして左手の区画多数の地蔵菩薩が安置されています。そのため千体地蔵尊の寺としても知られています。
いずれの尊像も平安時代から鎌倉時代にかけて造像されたもので、16体の木造の仏像は、すべてが大分県の有形文化財に指定されています。

ご本尊の不動明王は茅の一木造で、像高2m余りあり、大日妙来の化身とされ、忿怒身でありながら怒りを激しく現さず穏やかな慈悲相になっています。
この慈悲相は平安時代までとされ、古い形を保っていることから藤原時代の秀作と評されています。

また中央区画の薬師如来は木像としては六甲満山中最も大きな尊像です。
さらに大日如来は本来ならば煌びやかな宝飾を身につけていますが、ここの大日尊は飾りの少ない簡素な造りになっています。

寺院の背後には、無動寺耶馬、もしくは黒土耶馬と呼ばれる、耶馬渓に似た奇岩から成る絶壁がそびえ、国指定名勝「天念寺耶馬及び無動寺耶馬」の一部を構成しています。
無動寺耶馬にも桁橋状の無明橋が架けられている。

本堂東側には身濯みすすぎ神社へ上る石段があり、そこから裏手の巨岩・奇岩の山の中を一周するルートがあり、弘法大師ゆかりの「豊後四国八十八ヶ所」となっていて、一周して九州三十三観音霊場第十二番札所「椿堂」方面につながっているそうです。
無動寺耶馬にも桁橋状の無明橋があり、ここから登るルートもあるようです。

また本堂裏手には、十六羅漢像を始め十大弟子の石仏や板碑、宝篋印塔などもたくさん保存されています。
羅漢とは、仏に仕える人として最高の修業を積み最高の人格に達している者とされています。
醜・渋・笑・美の四面相を表した、無動寺の裏手にある十六体の羅漢は、一体一体が特徴的な像容をしており、古くから人々に親しまれています。

加えて本堂天井に描かれた曼陀羅も素晴らしいものです。

南無根本伝教大師福聚金剛

2011年4月より新住職を迎えて、法灯を護りついでおられますが、先代の住職心臓病を患いながら、小康状態を保たれていた時に傷んでいた仏像修復の話が持ち上がり、「これも仏様のお導きだ」と修復に取り掛かられました。
そして見事なまでの修復の仕上がりを見届け他界されたそうです。
謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。

九州三十六不動尊霊場第七番札所 大岩屋山 應暦寺

次回は九州三十六不動尊霊場第七番札所「大岩屋山 應暦寺」をお伝えしていきます。

願ねがわくは
この功徳くどくをもってあまねく一切いっさいに及およぼし
われらと衆生しゅうじょうと
みなともに仏道ぶつどうを成じょうぜんことを 合掌

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