5月19日 ボクシングの日

今日は何の日

今日5月19日はボクシングの日です。

東京都文京区後楽に事務局を置き、日本のボクシング界の健全な発展を目指す日本プロボクシング協会が2010年(平成22年)に制定しました。

1952年(昭和27年)のこの日、世界フライ級タイトルマッチで挑戦者・白井義男(しらい よしお)がチャンピオンのダド・マリノ(アメリカ)に15回判定勝ちし、日本初のボクシングのチャンピオンになりました
以後、4度の防衛を果たしました。

敗戦ですっかり自信をなくした日本人にとって、白井の王者獲得とその後の防衛での活躍は、まさに「希望の光」でした。

1954年(昭和29年)11月26日、パスカル・ペレス(アルゼンチン)に15回判定負けし、白井は王座から陥落してしまいた。
翌1955年(昭和30年)5月30日、世界王座再挑戦で、ペレスとのリターンマッチが開催されましたが、5回KO(ノックアウト)で敗れ、白井は現役引退となりました。
しかし、この試合のテレビ中継は最高視聴率96.1%を記録し、テレビ放送視聴率の中で最高となっています。

白井は現代とは違い、世界王座までの距離が比べ物にならないほど遠かった時代のチャンピオンとして高い評価を得ていて、また、最優秀選手賞に5度選ばれた記録を持っています。

この日には毎年「ファン感謝イベント」が開催されています。
「ボクシングの日」の第1回イベントでは後楽園ホールに現役を含めた歴代世界王者38人が集まり、プロボクシング・世界チャンピオン会の発足式が行われました。

白井義男

小学6年生の時の夜祭りの余興で行ったカンガルーとのボクシングに負けて以後、ボクシングにのめり込んだと伝わります。

プロデビューは戦時下の1943年で、8戦全勝の成績を残しますが、招集されて海軍に従軍し、整備士として終戦を迎えます。
復員後、ボクシング界へ復帰したものの海軍時代に特攻機を整備した際の労災により腰痛となり、引退寸前の危機に追い込まれました。

しかしそのころジムに出入りしていたGHQ職員の生物学者アルビン・R・カーンに見出され、彼の全面的な支援の元にその素質を開花させていきます。

カーンの指導の下、栄養豊かな食事を与えられ健康管理を徹底し、長い手足と運動神経を活かした防御主体のよりテクニカルなスタイルに矯正したことで、ダド・マリノとの世界タイトルマッチに勝利し王座を獲得しました。

白井とカーンとの関係は、選手とコーチの範囲を超える、まさに「家族」と言えるものでした。
カーンの引退後も変わらず、白井の引退後も日本に永住した恩師・カーンとの交流は最後まで続きました。
晩年のカーンは認知症を患っていたが、逝去するまで白井夫妻の厚い介護を受けていたそうです。
そして、子供がいなかったカーンは、死後全ての財産を白井に譲ったそうです。

また、白井はカーンの「ボクシングビジネスに手を出してはいけない」という忠告を守り、1955年に具志堅用高とともに白井・具志堅スポーツジムを設立、同ジムの名誉会長に就任したものの、出資のみで経営は具志堅に任せたそうです。

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