4月25日 世界マラリアデー

今日は何の日
A malarial sporozoite in an infected epithelial cell.

Malaria is transmitted to people and animals by mosquitoes. Malarial sporozoites develop inside oocysts and are released in large numbers into the hemocoel of Anopheles stephensi mosquitoes. This false-colored electron micrograph shows a sporozoite migrating through the cytoplasm of midgut epithelia. See Frevert et al.

Image Credit: Image by Ute Frevert; false color by Margaret Shear

今日4月25日は世界マラリアデーです。

2000年(平成12年)のこの日にナイジェリアでマラリア撲滅国際会議が開かれたことを記念して、同会議でこの日を「アフリカ・マラリア・デー」として制定しました。
その後2007年(平成19年)に国連の専門機関である世界保健機関(WHO)が「世界マラリア・デー」として制定、翌2008年(平成20年)から実施しています。
国際デーの一つです。

この日は、世界中で起こっているマラリアの現状を理解し、そして、根絶にはさらなる世界的な取組みが必要であることを知る機会となる日で、この日を中心に、世界中でマラリアの撲滅を呼びかけるイベントやキャンペーンなどが開催されています。

マラリアについて

マラリアは、結核、エイズと並ぶ世界の3大感染症の一つです。
マラリア原虫を持ったハマダラカ)に刺されることによって生じる感染症で、マラリアを発症すると、繰り返しの激しい高熱や頭痛、吐き気などの症状を呈します。
悪性の場合は脳マラリアによる意識障害や腎不全などを起こし死亡します。
予防可能、治療可能な病気ですが、2013年(平成25年)現在、感染者が世界中で年間約1.98億人、そのうち約58.4万人が死亡していると報告されています。

マラリア(malaria)は、「悪い(mal)空気(aria)」という意味の古いイタリア語が語源で、1880年にフランスの病理学者であるシャルル・ルイ・アルフォンス・ラヴランが赤血球内に寄生するマラリア原虫を発見するまで空気感染する病気と考えられいました。

21世紀に入ってから、世界におけるマラリアによる死亡率がほぼ半減したとされています。
この大幅な改善がもたらされた理由の一つは、サハラ砂漠より南のアフリカなどにおいて殺虫剤で処理された蚊帳(かや)をより多くの人が利用できるようになったことや、マラリアの診断キットによる正確な診断と投薬などの効果的な治療が利用しやすくなったことが挙げられます。
しかし、現在でもマラリアのリスクにさらされている人々が大勢いて、マラリアにより命を落としているというのが現実です。

日本とマラリア

1903年(明治36年)時には全国で年間20万人の土着マラリア患者があったが、その後は急速に減少し、1920年(大正9年)には9万人、1935年(昭和10年)には5,000人に激減している。
第二次世界大戦中・戦後に復員者による一時的急増があったが、減少傾向は続き、1959年に彦根市の事例を最後に土着マラリア患者は消滅しました。

しかし現在も海外から帰国した人が感染した例(いわゆる輸入感染症)が年間100例以上あります。
また、熱帯熱マラリアが増加傾向にあります。
現在第4類感染症に指定されていて、診断した医師は7日以内に保健所に届け出る必要があります。

日本もマラリア対策に協力していて、その一つに伝統的な蚊帳づくりです。

沖縄

沖縄県の八重山列島では「八重山熱」と呼ばれたマラリア発生地域が各地に存在することが古くから知られ、琉球王国時代からその地域に年貢増収を見込んでの開墾を意図した強制移住が行われては全滅する、という歴史が繰り返されていました
特に石垣島の北側(裏石垣)と西表島はその意味で恐れられた地域でした。
現在ではマラリアは一掃されていますが、第二次世界大戦時にはまだ発生地域は多くありました。

これらも米軍政府と普天間基地を拠点とした米軍防疫部隊の尽力で1960年代前半に根絶されました。
ただし、今の石垣市や西表島東部、小浜にも、コガタハマダラカが高密度に生息しています。

戦争マラリア

第二次世界大戦時の沖縄県で、有病地に強制疎開させられた一般住民や、駐留した日本軍の軍人・軍属等が罹患したマラリアです。
戦争という状況の下で発生したマラリアであるため、平時のマラリアと区別して戦争マラリアと呼ばれています

第二次世界大戦時、沖縄本島周辺では激しい戦闘が行われました。
八重山諸島においては米軍の上陸こそ無かったものの、空襲や艦砲射撃による攻撃を受けました。
その中で、一部地域で住民の疎開が行われ、しかもマラリアの発生する地域に移住させられたために、多くの人がマラリアに罹患し、多くの死者を出しました。
これが戦争マラリアと呼ばれる所以です。
マラリアは戦争中の物資や人間の移動、栄養状況の悪化から県内の他地域にも広がり、沖縄県各地で被害者を出しましたが、八重山では直接の戦争被害よりマラリアの被害が突出しています。

さらに波照間島などでは他地域とは別個に西表島への強制疎開が行われ、その結果として高率の感染と多数の死者を出しました。

また、先島諸島(宮古列島、八重山列島)では、1944年から宮古島に約3万人、石垣島に約1万人の日本軍が駐留していましたが、沖縄戦が本格化した1945年4月1日以降の記録では、宮古島で907人、八重山列島で184人の戦病死者が出ました。
元軍人や住民の証言によると、その大半はマラリア等の罹患が原因と見られています。
宮古島では、日本軍による飛行場建設のために強制移住させられた住民にもマラリアが蔓延、流行は終戦後も続き、1947年の罹患者数は12,131人にのぼりました。

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