
今日3月21日は国際人種差別撤廃デーです。
1966年(昭和41年)の国連総会で制定した国際デーの一つです。
1960年(昭和35年)のこの日、南アフリカのシャープビルで、人種隔離政策(アパルトヘイト)に反対する平和的デモ行進に対し警官隊が発砲し、69人が死亡する「シャープビル虐殺事件」が発生しました。この事件が、国連が人種差別に取り組む契機となったことから、人種差別撤廃のための記念日とされました。
この日には、世界中で人種差別の撤廃を求める運動が展開されます。

1971年(昭和46年)は国連が定めた国際年の一つ「人種差別と闘う国際年」でした。
また、この日を始めとする3月21日~3月27日は国際週間の一つ「人種差別と闘う人々との連帯週間」となっています。

シャープビル虐殺事件
シャープビル虐殺事件は、1960年3月21日に南アフリカ連邦(のちの南アフリカ共和国)トランスバール州ヨハネスブルグ近郊のシャープビルで発生した虐殺事件です。
アパルトヘイト政策を進める南アフリカ政府は、1952年にパス法を成立させ、国内(バントゥースタンを含む)に居住する18歳以上の男性黒人に身分証の携帯を義務付けました。
政府はパス法を黒人女性にも適用し、白人との分離政策の強化を図りました。

このような政府の方針に対して、アフリカ民族会議(ANC)はパス法に対する抗議活動を1960年3月31日に実施することを決定しました。
しかし、ANCに対抗するパン・アフリカニスト会議(PAC)は、ANCが主導権を握る抗議活動に反発し10日前の3月21日の実施を主張しましたが、賛同を得ることはできませんでした。
PACはこのため独自に抗議活動を実施することを決定しました。

3月21日、午前10時頃にPACが組織した5000~7000人の群集は逮捕を覚悟で身分証を持たずにシャープビルの警察署前で抗議行動を開始しました。
警察官は群集に対して解散するように警告したが群集は解散しなかったため、警察は抗議集団の最前線に装甲車を配備しました。
午後1時15分頃、警察官は群集に対して発砲を開始し、69人が死亡、180人以上が負傷しました。
群集はパニック状態となり、周辺は騒乱状態に陥りました。

ちなみに、1996年、大統領のネルソン・マンデラはシャープビルで新憲法の署名を行ないました。
パス法
南アフリカに居住する16歳以上の黒人に身分証の携帯を義務付け、アパルトヘイト政府が黒人の移動の自由を奪いました。
そして、外出の際は必ず携帯を義務付けられました。
身分証には氏名、写真、指紋、雇用主の氏名・連絡先が掲載され、雇用主は南アフリカ国民で事実上白人に限定されていました。
身分証の発行は当局によって管理され、不携帯や身分証の内容が当局の管理内容と異なる場合に逮捕されることもありました。
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