
今日3月6日はスポーツ新聞の日です。

1946年(昭和21年)のこの日、日刊スポーツ新聞社により日本初のスポーツ新聞「日刊スポーツ」が創刊しました。
発行された1万5000部はあっという間に完売しました。
終戦後の厳しい現実の中、スポーツや芸能の明るさや感動は、庶民にとって心の栄養であり、ささやかな夢でした。
日刊スポーツは、朝日新聞系のスポーツ新聞で、現存する日本のスポーツ新聞では最も歴史が古い新聞です。
そして2016年(平成28年)に日本で最も読まれているスポーツ新聞として創刊70周年を迎えました。
現在、日刊スポーツは全国各地の4社、日刊スポーツ新聞社(東京都)、日刊スポーツ新聞西日本(大阪府、愛知県、福岡県)、北海道日刊スポーツ新聞社(北海道)、沖縄タイムス社(沖縄県)から発行されています。
日刊スポーツ

元々は朝日新聞とは無関係の独立系のスポーツ紙でしたが、これも朝日新聞とは無関係の神港夕刊新聞社が発行した日刊オールスポーツが、経営難となった際、朝日新聞販売店を経営した折田平市を介して、朝日新聞社と日刊スポーツ新聞社に事業譲渡し、それ以後は朝日新聞系スポーツ紙と位置づけられるようになりました。
朝日新聞社、テレビ朝日ホールディングスと関係が強いものの、初代会長の川田源一から、2代川田博美、そして現会長の川田員之に至るまで、川田家がトップを務めています。
これに対し西日本社の前身会社となる名古屋日刊スポーツ新聞社・大阪日刊スポーツ新聞社・西部日刊スポーツ新聞社の歴代社長は全て朝日新聞社出身です。
なお、沖縄タイムス社は朝日新聞社と報道協定を結ぶなど協力関係にあり、沖縄版の現地印刷・発行の委託を開始するなど、事実上のフランチャイズ契約を結んでいます。

競合のスポニチが1面の見出しを赤色基調としたことに対抗して、1977年(昭和52年)の全面リニューアル時に関東地方向け即売版から青色の見出しを導入しました。
以後、「ブルー・ニッカン」の愛称で読者に浸透しています。
1面がフルカラー化した現在も題字や枠線など、青色を基調としたデザインを使用していて、一時はスポーツ報知が日刊に対抗してグリーン報知の愛称を導入するなど他紙にも強い影響を与えています。
マスコットキャラクターはブルドッグをモチーフにした「ブル男」で、「ブルー・ニッカン」が名前の由来となっています。

そして1977年、スポーツ新聞で初めて「社会面」を掲載しました。
1983年(昭和58年)の田中角栄元首相がロッキード事件の裁判で実刑判決を受けたのをきっかけに、社会報道も1面で大きく扱うようになりました。
さらに、スポーツ紙と言えば「アダルト(性風俗、エロネタ)」があるのも特徴ですが、日刊スポーツは1970年代後半の社会面強化と前後して、子供のいる家庭への配慮と銘打って宅配版のみアダルトページを設けない方針に転換しました。駅売店販売版でアダルト面が掲載されているページが、宅配版ではテレビ番組の紹介・解説欄に差し替えられています。
その後、大阪本社→西日本社ではスタンド売りも含めアダルト面を全廃し、全くピンク記事が無いスポーツ新聞として独自の路線を歩んでいます。
東京本社発行版でも、駅売り版にもアダルト面を掲載しない地域があります。
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