3月2日 中国残留孤児の日

今日は何の日

今日3月2日は中国残留孤児の日です。

1981年(昭和56年)のこの日、中国残留日本人孤児47名が、肉親探しのために、厚生省の招待で初めて公式に来日しました。
このうち29名の身元が判明しました。

第二次世界大戦末期、現在の中国東北地方(旧満州地区)には開拓団など約150万人の日本人が居住していましたが、ソ連軍侵攻と関東軍の撤退によって満州における日本の支配権と、それに基づく社会秩序は崩壊しました。
敗戦の混乱の中、帰国の途中で肉親が死亡、または行方不明となり、中国に残留を余儀なくされた子供たちが、当時数万人に上るとされています。

日本政府はその子供たちのうち、両親が日本人であって、日ソ開戦が直接の原因で両親が死亡、もしくは生き別れとなり、当時12歳以下の者を中国残留孤児と定義しています。
2016年(平成28年)末現在、訪日調査などを行った孤児2818名のうち1284名の身元が判明しています。

中国及び樺太等に残留された邦人の方々は、戦後の混乱の中、肉親と離別するなどし、国外に残留を余儀なくされ、長年筆舌に尽くしがたいご苦労がありました。
ようやく日本に帰国されたときは、年齢を重ね中高年となっていたため、日本の教育も受けられず、日本語の習得には大変な困難があり、言葉が不自由なため就労も思うようにはいかず、安定した職も得られませんでした。
また、戦後の高度経済成長の時期には国外にいたため、他の日本人とは違いその恩恵を受けられませんでした。
このため、帰国後も懸命な努力をされましたが老後の準備が十分できず、また、言葉が不自由なため、地域にもとけ込めない方々もおられるようです。

中国残留邦人等とは(厚生労働省HPより)

中国残留邦人」の方々と「樺太等残留邦人」の方々を「中国残留邦人等」と総称しています。

法律上、中国残留邦人等の方々とは以下の要件に該当する方々です

1.昭和20年8月9日以後の混乱等の状況下で本邦に引き揚げることなく、同年9月2日以前から引き続き中国又は樺太の地域に居住していた方で、同日において日本国民として本邦に本籍を有していた方。
2.1に該当する方を両親として昭和20年9月3日以後中国又は樺太の地域で出生し、引き続き中国又は樺太の地域に居住していた方。
3.1及び2の方に準ずる事情にある方。

中国残留邦人

昭和20年(1945年)当時、中国の東北地方(旧満州地区)には、開拓団など多くの日本人が居住していましたが、同年8月9日のソ連軍の対日参戦により、戦闘に巻き込まれたり、避難中の飢餓疾病等により多くの方が犠牲となりました。このような中、肉親と離別して孤児となり中国の養父母に育てられたり、やむなく中国に残ることとなった方々を「中国残留邦人」といいます。

樺太等残留邦人

日ソ開戦時、樺太(千島を含む)には約38万人の一般邦人、また、約1万人の季節労働者が居留していました。
開戦により樺太庁長官は、軍の要請と樺太の事態にかんがみ、老幼婦女子等を北海道に緊急疎開させることとしましたが、昭和20年(1945年)8月23日、ソ連軍によりこうした緊急疎開が停止されました。
その後、集団引揚げが昭和34年(1959年)までに行われましたが、様々な事情が障害となって樺太に残留(ソ連本土に移送された方を含む。)を余儀なくされた方々を「樺太等残留邦人」といいます。

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