2月28日 エッセイ記念日

今日は何の日

今日2月28日はエッセイ記念日です。

木村治美エッセイストグループが、エッセイストの元祖とされるフランスの哲学者・モラリストであるミシェル・ド・モンテーニュの誕生日に因んで制定しました。

1580年、現実の人間を洞察し人間の生き方を探求して綴り続けた主著「随想録エセー:Essais)」が刊行されました。
体系的な哲学書ではなく、自分自身の経験や古典の引用をもとにした考察を語っています。
この本は、フランスのみならず、各国に影響を与えました。

エッセイについて

エッセイ(随筆)とは、エッセーとも呼ばれ、文学における一形式で、筆者の体験や読書などから得た知識をもとに、それに対する感想・思索・思想をまとめた散文です。
エッセイはフランス語では「essai」、英語では「essay」で、「essai」の原義は「試み」であり、「試論(試みの論文)」という意味を経て文学ジャンルとなりました。

日本における随筆の起源は平安時代中期の10世紀末に清少納言によって書かれた「枕草子」であるとされています。
枕草子における日常的風景に対する鋭い観察眼は「をかし」という言葉で象徴されます。
その後も、鴨長明方丈記(鎌倉時代初期)や吉田兼好(兼好法師)の徒然草(鎌倉時代末期)など優れた随筆作品が登場しました。
これら三つの随筆は、「日本三大随筆」と呼ばれています。

枕草子

春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」で始まる枕草子は、平安時代中期の女性で歌人の清少納言が綴った随筆です。季節に関する話から始まっており、春は「あけぼの」、夏は「夜」、秋は「夕暮れ」、冬は「早朝」など、四季折々の趣を書きつづっています。

平安時代中期に中宮定子に仕えた女房、清少納言により執筆されたと伝わる随筆。
ただし本来は、助詞の「の」を入れずに「まくらそうし」と呼ばれたそうです。
執筆時期は正確には判明していませんが、長保3年(1001年)にはほぼ完成したとされています。
「枕草紙」「枕冊子」「枕双紙」とも表記され、古くは『清少納言記』『清少納言抄』などとも称されました。

平仮名を中心とした和文で綴られ、総じて軽妙な筆致の短編が多いですが、中関白家の没落と清少納言の仕えた中宮定子の身にふりかかった不幸を反映して、時にかすかな感傷が交じった心情の吐露もあります。
清少納言の洗練されたセンスと、事物への鋭い観察眼が融合して、知性的な「をかし」の美世界を現出させました。
総じて簡潔な文で書かれ、一段の長さも短く、現代日本人にとっても読みやすい内容です。

方丈記

鴨長明の「方丈記」の冒頭は「ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし」で始まる鎌倉時代の随筆です。
この冒頭は、すべてのものは永遠に存在せず、常に変化しているという仏教の根本思想である無常観を表現したものです。

漢字と仮名の混ざった和漢混淆文で記述された最初の優れた文芸作品で、詠嘆表現や対句表現を多用し、漢文の語法、歌語、仏教用語を織り交ぜています。
そして、方丈記は、地震や水害、大火事、疫病といった度重なる災厄に襲われた京都の様子を克明に描き、極限の環境下で心の平穏を求めた文学として知られています。

徒然草

随筆『徒然草』の書き出しは「つれづれなるままに、日くらし硯にむかひて、心にうつりゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」で始まります。

徒然草は、鎌倉時代に活躍した吉田兼好法師が著した作品です。世の中や人々の姿、自分の心のあり方などについて鋭く思索を積み重ね、その記録を「徒然草」として残しています。

序段を含めて243段から成り、文体は和漢混淆文と、仮名文字が中心の和文が混在しています。
内容は多岐にわたり、序段には「つれづれなるままに」書いたと述べ、その後の各段では、兼好の思索や雑感、逸話を長短様々、順不同に語っています。
兼好が歌人、古典学者、能書家などであったことを反映しているほか、兼好が仁和寺がある双ヶ丘(ならびがおか)に居を構えたためか、仁和寺に関する説話も多くあります。
また、『徒然草』が伝える説話のなかには、同時代の事件や人物について知る史料となる記述も散見され、歴史史料としても広く利用されています。
中でも『平家物語』の作者に関する記述は現存する最古の物とされています。

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