
今日2月25日は夕刊紙の日です。
1969年(昭和44年)のこの日、日本初の駅売り専門の夕刊紙「夕刊フジ」が創刊されました。
普通の新聞紙1ページの半分の大きさのタブロイド判が採用され、産業経済新聞社が発行していました。

紙名は会社側の説明では富士山に由来するとされていましたが、同じフジサンケイグループのテレビ局フジテレビジョンのフジに通じる面もありました。
産経新聞社第3代・フジテレビ第2代社長の鹿内信隆氏は、フジテレビを開局する際に「庶民に愛されなくてはならない。ポピュラーなものでなくてはならない。日本でポピュラーと言えば、桜と富士だから」と局名を提唱し、ゆくゆくは一般紙の産経新聞もフジ新聞に改題したいという願望を持っていたと言われています。
しかし、創業者の前田久吉ら関西出身の幹部から「関西ではフジでは通りが悪い」と言われ、そんな時にフジネットワークの準キー局関西テレビの社長を兼務していた京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の第8代社長の小林米三氏から「夕刊をフジにしたらええがな」とアドバイスされ、紙名を決めると共に、産経新聞は『サンケイ』に改題することにしたといわれています。

1999年(平成11年)時点で首都圏・関西での即売が中心での発行部数は首都圏版106万部、関西版50万部となっていました。
また、1996年(平成8年)8月より公式ウェブサイト「ZAKZAK」を開設、日本におけるインターネット普及初期からネットでのニュース記事配信も行っていました。
ただ、2024年10月1日、産経新聞社は翌2025年1月31日発行号(2月1日付)をもって夕刊フジを休刊すると発表しました。
と同時に、夕刊フジ電子版も休刊とし、ウェブサイト「ZAKZAK」も更新停止すると発表しました。
しかし、2025年1月27日にZAKZAKは2月1日以降も更新し、芸能・エンタメサイトにリニューアルすると発表しました。

題字のデザインは、グラフィック・デザイナーの杉山高子氏が手がけ、創刊当初から見出しにオレンジ色を採用したことから「オレンジ色のニクい奴」というキャッチコピーが付きました。
サラリーマンを対象としたタブロイド紙の登場は、一つのクラスカルチャーを生んだと言われてもいます。

休刊。当日には、長年にわたり同業のライバルであった日刊ゲンダイと東京スポーツから、感謝とねぎらいのメッセージが寄せられ、ゲンダイとフジは全面広告を相互に出稿し、50年に及んだ競合を讃えあいました。
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