
今日2月9日はふくの日です。
協同組合・下関ふく連盟が、「ふく」の普及と宣伝を目的に1980年(昭和55年)に制定しました。
日付は「ふ(2)く(9)」と読む語呂合わせから。本場下関では河豚(ふぐ)を「福」と同じ発音で縁起がいいことから「ふく」と言います。

この日には下関市内の恵比寿神社で豊漁と航海安全を祈願し、「ふくの日祈願祭」が行われ、2月11日には「ふくの日まつり」として、ふくの水揚げ世界一を誇る南風泊市場(はえどまりしじょう)において、ふく刺しやふく関連製品の即売会などが行われています。
フグについて

フグ(河豚・鰒)は、フグ目、特にフグ科に属する魚の総称である。およそ1120種の魚がフグ科に分類されています。
そのうち食用とする種として、トラフグ、マフグなどが有名です。
フグ科に属さないフグとして、ハコフグ、ハリセンボンなどがあります。

多くの種において、内臓や皮膚、血液、筋肉の全部または一部に毒性のあるテトロドトキシンを持っています。
食用可能な部位はフグの種類や漁獲場所によって異なるため、素人によるフグの取扱いや調理は極めて危険です。
実際、日本における食中毒の原因のほとんどがキノコとフグであり、フグによる事故の多くは素人調理だそうです。
ふぐ食の歴史
日本人とふぐのかかわりはとても古く、6千年前のものとされる縄文時代の遺跡からは、他の多くの魚や貝類とともに、ふぐ科の魚の骨が見つかっていて、このことから、この時代にはすでにふぐは食べられていたと考えられています。
下関の弥生時代の遺跡からもふぐの骨が出土しており、2000~2500年前のものと考えられています。

時代は下り、安土桃山時代、豊臣秀吉の朝鮮半島出兵の際、九州名護屋(現在の佐賀県唐津市)に陣を構えましたが、集まった兵士の中にふぐを食べて中毒死する者が相次いだため、「ふぐ食禁止令」を発し、ふぐ食を禁止したとされています。
それ以来ふぐ食禁止は江戸時代を過ぎて明治期まで続きます。
江戸時代には幕府による禁止令が出され、各藩もそれぞれ「ふぐ食用禁止の掟」を設けるようになりました。
藩によっては厳しい取締りを行い、例えば長州藩(現:山口県)でも、これを破りふぐを食べて中毒死した場合は、家禄没収・家名断絶の厳しい処分が科せられました。
しかし一方では、一般市民はごく普通にふぐ食に親しんでいた模様で、みそ汁の具にふぐを用いたふぐ汁などが食べられていたようです。

その「ふぐ食禁止令」が初めて解かれたとされるのが、1888年(明治21年)時の総理大臣伊藤博文公の働きかけによる山口県のふぐ食禁止令解禁です。
諸説あるものの、働きかけのきっかけとなったのが、下関でフグを食した伊藤博文がそのうまさに感心し、当時の山口県県令(知事)原保太郎に命じて、1898年(明治21年)、山口県に限り河豚食を解禁させました。その舞台となった下関市の老舗旅館「春帆楼」はふぐ食禁止令解禁によりふぐ料理公許第1号として広くその名を知られるようになりました。
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