
今日2月7日は北方領土の日です。
日本政府が1981年(昭和56年)に、北方領土問題に対する国民の関心と理解を更に深め、全国的な北方領土返還運動の一層の推進を図るために制定された記念日です。

昭和50年代に入り、北方領土返還運動の高まりから、青年、婦人、労働の各団体において「北方領土の日制定」を求める決議が次々と行われるようになりました。
そして、1980年(昭和55年)には、衆参両院において「北方領土の日」の設定を含む「北方領土問題の解決促進に関する決議」が全会一致で決議されたのを始め、全国の都道府県議会や市町村議会、全国知事会、全国市議会議長会、全国市長会、全国町村会などにおいても同様な決議が行われるようになりました。

こうした事を背景に、総務庁(現:総務省)において「北方領土の日」の設定について検討することになり、広く関係各層の意見を聞くために同年12月、有識者らからなる「『北方領土の日』に関する懇談会」が開催されました。
この懇談会の答申を受け、毎年2月7日を「北方領土の日」とすることが閣議了解によって決められました。

北方領土は択捉島・国後島・色丹島・歯舞諸島からなり、面積は4996平方キロメートルで沖縄の2倍強あります。

江戸時代から日本は北方領土の開発・経営をしていました。
1854年(安政元年)12月21日(新暦1855年2月7日)に締結された「日露通好条約(日露和親条約)」により、ロシアとの国境が択捉島とウルップ島との間に確定され、北方領土が日本の領土として認められました。
そして、1875年(明治8年)の「樺太千島交換条約」によって樺太全島を放棄する代わりに千島列島全てが日本領となり、1905年(明治38年)の日露戦争の勝利により、「ポーツマス条約」で南樺太も日本領となりました。
その後、第2次世界大戦の敗戦により、1951年(昭和26年)の「サンフランシスコ平和条約」で、日本が戦争によって奪った土地の権利・権限等は放棄することとなり、千島列島もその中に含まれましたが、北方領土は戦争によって獲得した土地ではなく、権限を放棄する千島列島には含まれませんが、ソ連は千島列島の一部であるとして北方領土を占領し、その状態が現在まで続いています。

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