2月5日 長崎二十六聖人殉教の日

今日は何の日

今日2月5日は長崎二十六聖人殉教の日です。

1596年(慶長元年)のこの日、豊臣秀吉のキリスト教弾圧により、長崎西坂で26人のキリスト教徒が処刑されました。
殉教したのはペトロ・バプチスタ神父ら外国人6人と三木パウロ茨木ルドビコ神父ら日本人20人で、この26人は1962年に時のローマ教皇ピウス9世によって聖人に列せられました

日本でキリスト教の信仰を理由に最高権力者の指令による処刑が行われたのはこれが初めてでした。
この出来事を「二十六聖人の殉教」といわれていますが、西洋諸国では「聖パウロ三木と仲間たち」とも呼ばれています。
26人は後にカトリック教会によって聖人の列に加えられたため、彼らは「日本二十六聖人」と呼ばれることになりました。
キリシタンの迫害は徳川氏(江戸幕府)にも引き継がれ、後年に京都の大殉教元和の大殉教が引き起こされています。

ペトロ岐部と187殉教者

その後、徳川幕府のキリスト教禁教政策のもとで1603年から1639年にかけて日本各地で殉教した日本人のカトリック司祭・修道者・信徒で、2008年に長崎市で行われた列福式でカトリック教会の福者(死後その徳と聖性を認められた者に与えられる称号で、この称号を受けることを列福といいます。その後、さらに列聖調査がおこなわれて聖人に列せられることもあります)に列せられた188人のキリシタンの総称です。
司祭になるべくローマへ徒歩で行ったペトロ岐部や、天正遣欧少年使節の一人である中浦ジュリアンらが含まれています。
日本のカトリック教会では、7月1日を「ペトロ岐部と187殉教者」の記念日としています。

京都の大殉教

江戸幕府2代将軍の徳川秀忠が上洛の折、京都でキリシタンの大規模な処刑を命じました。
方広寺門前の正面橋近辺で、彼らを方広寺大仏(京の大仏)に向かいあうように磔にし、火あぶりで処刑しました。
正面橋東詰には現在「元和キリシタン殉教の地」という碑が建てられています。

元和の大殉教(げんなのだいじゅんきょう)

江戸時代初期の1622年(元和8年)、長崎の西坂でカトリックのキリスト教徒55名が火刑と斬首によって処刑された事件です。
日本のキリシタン迫害の歴史の中でも最も多くの信徒が同時に処刑されました。
長崎の大殉教」とも呼ばれます。

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