
今日1月30日は孝明天皇祭です。
1867年1月30日(慶応2年12月25日)、第121代天皇、孝明(こうめい)天皇が崩御されました。
孝明天皇祭は、宮中祭祀の一つで、1874年(明治7年)から1912年(明治45年)までは国の祭日として実施されていました。

孝明天皇は、1831年7月22日(天保2年6月14日)、仁孝(にんこう)天皇の第四皇子として誕生しました。
煕宮(ひろのみや)と命名され、諱は統仁(おさひと)といい、明治天皇の父にあたります。

1912年(明治45年)7月30日、明治天皇が崩御されたのに伴い、この日は祭日ではなくなり、新たに「明治天皇祭」が制定されました。
現在では「孝明天皇例祭」として、宮中祭祀の主な祭儀の一つとなっていて、この日には皇居にある宮中三殿の一つ「皇霊殿」と、天皇の墓である「陵所」において祭典が行われます。
皇霊殿では、過去の天皇を祀り、国家の平安と繁栄を祈願します。
陵所では、直接に孝明天皇を偲び、その御霊に対する敬意を表します。
また、夜には御神楽が行われます。
孝明天皇(こうめいてんのう)

孝明天皇は日本の第121代天皇です。
一世一元の詔発布前の天皇であり、そして生涯平安京内で過ごした最後の天皇です。
孝明天皇は、幕末の動乱期に即位された天皇であり、その治世は日本が大きな変革を迎えた時代でした。
外圧による開国や国内の政治的混乱に直面しながらも、天皇としての責務を全うされました。
誕生から崩御までの生涯は、日本の歴史の中でも特に激動の時期にあたります。
天皇自身も、幕末の政治情勢に大きく関わり、後の明治維新へと繋がる歴史的な転換点に立ち会われた重要な人物です。

陵(みささぎ)は、宮内庁により京都府京都市東山区今熊野泉山町の泉涌寺内にある後月輪東山陵(のちのつきのわのひがしやまのみささぎ)に治定されていす。
その形式は、宮内庁上の形式では円丘です。

孝明天皇の埋葬にあたっては、文久の修陵事業で活躍した山陵奉行・戸田忠至(とだ ただゆき)の建言を受け、従来の仏式葬の石塔から古式に改められました。
歴代天皇墓所の泉涌寺裏山に、円墳を模した現陵が築かれたが、葬儀そのものは泉涌寺において仏式で営まれました。
歴代天皇で最後に仏式で葬儀が営まれた天皇ともなりました。
皇居では、皇霊殿(宮中三殿の1つ)において他の歴代天皇・皇族とともに祀られています。
また、平安京最初の天皇・桓武天皇を祀る平安神宮に、平安京最後の天皇として1940年(昭和15年、皇紀2600年)に合祀されました。
そのほか、愛知県武豊町の玉鉾神社にも祀られています。
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