1月25日 左遷の日

今日は何の日

今日1月25日は左遷の日です。

901年(延喜元年)のこの日、右大臣・菅原道真すがわら の みちざね)が醍醐天皇によって九州の大宰府に左遷されました。

彼の才能を妬む左大臣・藤原時平は、道真を罪に陥れてやろうと策略し「道真は国家の政治を私物化している」と醍醐天皇に何度も讒言しました。
これにより、天皇も道真のことを逆臣と思い込むようになり、菅原道真を太宰権帥(だざいのごんのそち:大宰府の長官である大宰帥(だざいのそち)の権官)に左遷、筑紫国(現:福岡県)に流罪とすることとしました。

太宰府への移動はすべて自費によって支弁し、左遷後は俸給や従者も与えられず、政務にあたることも禁じられました
都では栄達を極めた菅原道真でしたが、大宰府での暮しは都とはうって変わってわびしいもので、大宰府浄妙院(榎社)で謹慎していましたが、与えられた住居の床はボロボロで屋根は雨漏りするようなありさまでした。
その住居から出ることもできない境遇を「都府の楼はわずかに瓦の色をみる。観音寺はただ鐘の声をのみ聴く」(大宰府政庁の建物は遠くから瓦の色を見るだけで、観世音寺は鐘の音を聴くだけだ)と漢詩に詠んでいます。

無念の思いを抱きながら、左遷から2年後の903年(延喜3年)2月25日に59歳で亡くなりました
そしてその亡骸は、安楽寺(現:太宰府天満宮)に葬られました。
刑死ではありませんが、衣食住もままならず窮死に追い込まれたわけで、緩慢な死罪に等しい状況でした。
その日に因んで、毎月25日は各地の天満宮で「縁日」となっています。

道真の死後、都で落雷や突然死が起こりました。
当時の人々は道真のたたりだとおそれ、道真を神として祭ることで宥めようとしました。

こうして、道真は「天満大自在天神」(天神さま)として信仰されることになり、墓のうえに安楽寺天満宮(現在の太宰府天満宮)がつくられました。
その後、大宰府の役人として赴任した貴族たちによって建物や土地が寄進され、最盛期には40か所以上の荘園を持つ大寺院として発展します。

戦国時代には度々の戦乱に巻きこまれて荒廃しましたが、安土桃山時代から江戸時代に復興されました。
平和になった江戸時代には庶民が全国の名所を旅行するようになり、太宰府天満宮は「さいふまいり」の名所として多くの人が参拝に訪れました。

菅原道真は文筆に優れていたことから学問や文化芸術の神として、また雨を降らせる雷神であることから農耕の神としても尊敬され、現在に至るまで篤く信仰されています。​

その太宰府天満宮には、九州に赴くとき、長年住み慣れた自宅の庭に植えられていた梅が咲いているのを見て「東風(こち)吹かば 匂ひをこせよ 梅の花 主(あるじ)なしとて 春な忘れそ」と詠み、その梅は都の菅原邸から太宰府の庭まで飛んで行ってそこに根づいたという「太宰府の飛梅(とびうめ)」の伝説があります。

また、名物の梅ヶ枝餅は、道真が大宰府へ左遷され悄然としていた時に、老婆が道真に餅を供しその餅が道真の好物になり、道真の死後老婆が梅の枝を添えて餅を墓前に供えた、或いは道真が左遷直後軟禁状態で食事もままならなかったおり、老婆が軟禁部屋の格子ごしに梅の枝の先に餅を刺して差し入れたという伝承が由来とされています。

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