
今日1月9日は「とんちの日」です。
日付は「とんち」で有名な「一休さん」にちなんで「いっ(1)きゅう(9)」(一休)と読む語呂合わせからです。
一休さん(一休宗純 いっきゅうそうじゅん)は室町時代中期の臨済宗大徳寺派の僧です。
「屏風の虎退治」や「このはし渡るべからず」などが有名で、絵本や紙芝居の題材としてよく用いられます。
「とんち」(頓智/頓知)とは、「その場に応じて即座に出る知恵」「機知」という意味で、「とんちのある人」「とんちで人を笑わせる」「とんちを働かす」などの使われ方がされます。
一休宗純(いっきゅうそうじゅん)

一休禅師に纏わる逸話が多数伝わっています。
逸話1.印可(精進した弟子に師が与える力量の証明)の証明書や由来ある文書を火中に投じた。
逸話2.男色はもとより、仏教の菩薩戒で禁じられていた飲酒・肉食や女犯を行い、盲目の女性である妻や実子の弟子がいた。
逸話3.木製の刀身の朱鞘の大太刀を差すなど、風変わりな格好をして街を歩きまわった。これは「鞘に納めていれば豪壮に見えるが、抜いてみれば木刀でしかない」ということで、外面を飾ることにしか興味のない当時の世相を風刺したものであったとされる。
逸話4.親交のあった本願寺門主蓮如の留守中に居室に上がり込み、蓮如の持念仏の阿弥陀如来像を枕に昼寝をした。その時に帰宅した蓮如は「俺の商売道具に何をする」と言って、二人で大笑いしたという。
逸話5.正月に杖の頭にドクロをしつらえ、「ご用心、ご用心」と叫びながら練り歩いた。
上記のような一見奇抜な言動は、中国臨済宗の僧・普化など唐代の禅者に通じ、禅宗の教義における風狂の精神の表れとされ、同時に、こうした行動を通して、当時の仏教の権威や形骸化を批判・風刺し、仏教の伝統化や風化に警鐘を鳴らしていたと解釈されています。
またこのような戒律や形式に囚われない人間臭い生き方は、民衆の共感を呼びました。江戸時代には、彼をモデルとした『一休咄』に代表される頓知咄(とんちばなし)を生み出す元となった。
屏風の虎退治

足利義満が一休に出した問題の一つです。
「屏風絵の虎が夜な夜な屏風を抜け出して暴れるので退治して欲しい」と義満が訴えたところ、一休は「では捕まえますから虎を屏風絵から出して下さい」と切り返し、義満を感服させました。
このはし渡るべからず

桔梗屋が一休に出した問題の一つです。
店の前の橋を一休さんが渡ろうとすると、「このはしわたるべからず(『この橋を渡るな』の意)」と書いてありました。
しかし一休は、「この端(はし)渡るべからず」と切り返し、橋の真ん中を堂々と渡りました。
後日談で、同じ問題に加えて「真ん中も歩いては駄目」と難題を出されたが、「橋に乗らねばよいのだろう」と敷物を敷いてその上を歩いて渡ってきました。
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