
今日12月26日は徳川家康生誕の日です。

徳川家康は、1542年(天文11年)12月26日の寅の刻(午前4時頃)に岡崎城内で生まれました。
幼名は竹千代で、父は三河国岡崎城主の松平広忠、母は三河国刈谷城主の水野忠政の娘・大子(晩年は出家して伝通院と称しました)です。

3歳のころ、水野忠政没後に水野氏当主となった水野信元(大子の兄)が尾張国の織田氏と同盟します。
織田氏と敵対する駿河国の今川氏に庇護されている松平広忠は大子を離縁したため、竹千代は母と生き別れになりました。
徳川家康は6歳の時に織田信秀(信長の父)の人質となり、8歳の時に人質交換によって今川義元の人質となりました。
14歳のとき、駿府の今川義元の下で元服し、次郎三郎元信と名乗りました。義元の偏諱「元」の字を与えられており、これは改めて今川氏の配下になったことを意味しました。
そして1558年(弘治4年)頃に、祖父・松平清康の名の一字をとり、元康と改め、仮名も「蔵人佐」と改めています。
さらに、1563年(永禄6年)7月6日、元康は、家康と名を改めました。
「元」の字は今川義元の偏諱を与えられたものであったため、この改名により、名実ともに今川氏から自立したことを明確にしました。
最終的に1566年(永禄9年)12月29日、家康は、正親町天皇の勅許により、松平を改めて徳川を姓としました。

晩年は駿府城で薬学とグルメ三昧だったと言われています。

大好物は興津鯛(おきつだい 静岡県中部におけるアマダイ(甘鯛)の地方名)で、最後の食事に興津鯛の天ぷらを所望したと言われています。
主食は麦飯で、浜松特産の浜納豆を好んで食べ、海の幸・山の幸をバランスよく取り入れていたと伝えられています。
面長でふくよかな顔、福耳、小ぶりな口などの特徴があります。
さて、徳川家康の誕生日は12月26日と1月31日という二つの説がありますが、実は両方とも正解です。
それは、旧暦と新暦の違いです。
明治の改暦により、天文11年12月26日(旧暦)はグレゴリオ暦では1942年1月31日となりました。
コメント