
今日12月17日は飛行機の日です。
1903年(明治36年)のこの日、アメリカ・ノースカロライナ州において、ライト兄弟がライトフライヤー号で、動力飛行機の初飛行に成功しました。
19世紀末、すでに陸には蒸気機関車や車が走り、海や川では蒸気船が航行し、そして最初の有人飛行をしたモンゴルフィエ兄弟に始まる熱気球から派生した飛行船が存在しました。
しかし、「空気より重い飛行機」の動力飛行は全く発展途上でした。
唯一の手掛かりとしてジョージ・ケイリーのグライダーを基にオットー・リリエンタールによって研究が進められていました。
しかし当時はまだ多くの研究家は正しい飛行のための理論を確立するに至らず依然として暗中模索が続いていた時代でした。
1896年のリリエンタールの事故死後、これを皮切りにライト兄弟は飛行機を完成させることを考え、これが史上初の動力飛行成功へ向けてのきっかけとなり、時代を新たに拓く成功への一歩となりました。

ライト兄弟は、アメリカ出身の発明家で、兄のウィルバー・ライトと弟のオーヴィル・ライトです。ライト家にはその他に長男と次男、妹の3人の兄妹がいました。
初飛行に成功した場所は、現在の同州キティホークの南にある海に面したキルデビルヒルズという町です。
この日には合計4回の飛行が試みられ、1回目の飛行時間は12秒で飛行距離は約36.5m(120ft)、4回目の飛行時間は59秒で飛行距離は約259.6m(852ft)という結果でした。
ライト兄弟は自転車屋をしながら研究を続けた結果、世界初の有人動力飛行を成功させました。
飛行記録からすると弟のオーヴィルの方が操縦に長けていたようでした。
この初飛行を記念して、キルデビルヒルズには国立のライト兄弟メモリアルが建設されていて、これに隣接してファーストフライト空港が一般航空用に設置されています。
2003年(平成15年)には動力飛行100周年を迎え、同空港にはパイロット用の建屋が建設され、大々的なイベントが実施されました。
また、LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれた。
そして、現在では、アメリカの連邦航空局(FAA)が発行するパイロットのライセンスカードの裏面にはライト兄弟の肖像が描かれています。

さて日本における動力初飛行は、ライト兄弟の初飛行から7年後の1910年(明治43年)12月19日の午前に行われた軍公式の飛行試験において、陸軍軍人・徳川好敏が日本国内で初めて飛行機により空を飛びました。その日に因んで、12月19日は「日本人初飛行の日」となっています。
徳川 好敏(とくがわ よしとし)は、日本の陸軍軍人であり、華族、清水徳川家第8代当主です。
陸軍で航空分野を主導し、軍人としての最終階級は陸軍中将。華族としての爵位は男爵となりました。
また徳川幕府の第9代将軍である徳川家重の次男が興した「清水徳川家」の末裔とされています。
そのフライトにおいて、「清水徳川家の名誉を回復したい」と考えていたであろう徳川好敏氏が、もし飛べなかったらならば、自分の責任を感じて〇〇といったことも容易に想像してしまうほど、命がけのチャレンジだったのかもしれません。
しかし幸い初飛行が成功したことで、清水徳川家の名誉も回復し男爵が授与されます。
こうして、徳川好敏氏、旧日本陸軍航空生みの親、そして育ての親となり、、日本の航空界をけん引したことが後に「日の丸航空界の父」とまで呼ばれるようになりました。
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