
カレンダーの業界団体である全国団扇扇子カレンダー協議会と全国カレンダー出版協同組合連合会がカレンダーの更なる普及と発展が目的とそて1988年(昭和63年)に制定しました。
明治5年11月9日、時の政府は「来る明治5年12月3日(旧暦)を明治6年1月1日(新暦)とする」と太政官布告で太陽暦が採用されることを宣言しました。
この日から数えてわずか23日後に迫った突然の改暦に世間の混乱ぶりは想像以上のものでしたが、それ以後の日本は太陽暦を採用する諸外国との足並みを揃えることになり、文明国家の仲間入りを広く世界にアピールすることができました。
「カレンダーの日」の日付は、その12月3日に由来しています。
*全国団扇扇子カレンダー協議会
全国団扇扇子カレンダー協議会は、組織名に団扇(うちわ)、扇子、カレンダーと3品目が並んでいますが、同協会の設立当時はPR販促用アイテムも至って少なく、商店や会社の名人れ用品として、団扇、扇子、カレンダーが最適であったことから、よって「団扇扇子カレンダー」を一括して組織名称としたそうです。
全国260社の団扇・扇子・カレンダーのメー力一及び専門販売店をもって組織されています。
カレンダーとは
カレンダーとは、日付・曜日などを表形式などで表示し、容易に確認できるものを言います。
英語の「calendar」は、毎月の最初の日を意味するラテン語の「kalendae」に由来していて、日本語の「カレンダー」はこの英語からの借用語です。

カレンダーの起源は、遥か昔の紀元前18世紀頃。古代バビロニア帝国の時代まで遡ります。
その頃、日本は縄文時代の真っただ中でした。
古代バビロニアでは、僧侶たちが毎夜寺院の屋上に登って、月を観測していました。
そこである発見をしたのです。『月の満ち欠けは一定の周期で行われる』ということ。
この周期を元に彼らは、新月から次の新月までを1カ月とするルールを決めました。これが太陰暦です。
太陰暦の誕生で「月」や「日」の概念ができ、スケジュールを組む習慣が生まれたと推測されています。

日本に暦が伝来した事については、日本書紀「553年(欽明天皇14年)に百済へ暦博士の来朝を求めた」とあります。
また、602年(推古天皇10年)に、観勒が来朝して暦法を伝え、日本の学生に学習させたと記録されています。
七曜は弘法大師の「宿曜経」によってもたらされたそうです。

現在の太陽暦(グレゴリオ暦)を使用するようになったのは、前述の通り1873年(明治6年)からです。
当初の「こよみ」は小冊子の形をとったものが主流で、始めは暦屋の団体である領暦商社、1883年(明治16年)からは伊勢の神宮司庁しか発行を認められていませんでした。

明治時代の中頃から1枚刷りの引札略暦が大流行しました。
そして、1903年(明治36年)には日めくりカレンダーが大阪で製造されました。

日めくりは旧暦も併記され、美しい台紙に告知が入った物で、中小商店や会社、銀行などが大量に作り、人々に配布しました。
今日、主流となっているカラー写真の入った月めくりカレンダーが流通するようになったのは、1945年(昭和20年)以降でした。
コメント