11月6日 馬琴忌

今日は何の日

今日11月6日は『椿説弓張月』や『南総里見八犬伝』の作者・曲亭馬琴(滝沢馬琴)の1848(嘉永元)年、82歳で亡くなった日です。
曲亭馬琴は江戸時代後期に流行した伝奇風小説集である読本(よみほん)作家で、ほとんど原稿料のみで生計を営むことのできた日本で最初の著述家です。

椿説弓張月(ちんせつ ゆみはりづき)

椿説弓張月は曲亭馬琴作・葛飾北斎画の読本で、馬琴の史伝物読本の初作です。
『保元物語』に登場する強弓の武将鎮西八郎為朝ちんぜい はちろう ためとも)と琉球王朝開闢の秘史を描く、勧善懲悪の伝奇物語です。
日本史のなかでも悲劇の英雄の一人に数えられる源為朝に脚光をあて、その英雄流転譚を琉球王国建国にまつわる伝承にからめた後編は、そのスケールの大きさと展開力で好評を博しました。
正式には「鎮西八郎為朝外伝」の角書きが付いて『鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月』です。

概要

物語は日本の物語と琉球の物語に区分でき、鎮西八郎を称した源為朝の活躍を『保元物語』にほぼ忠実に描いた前篇・後篇と、琉球に渡った為朝が琉球王国を再建(為朝が琉球へ逃れ、その子が初代琉球王舜天になったという伝説があります)するくだりを創作した続篇・拾遺・残篇からなります。

そのあらすじは、九州に下った弓の名人源為朝は八町礫紀平治を家来とし、阿曾忠国の娘白縫の婿となるが、保元の乱に破れて大島に流されます。
大島を抜け出した為朝は兵を挙げますが、海上で暴風雨に遭い、琉球に漂着してしまいます。
琉球では尚寧王の姫忠婦君が利勇(りゆう)や曚雲(もううん)と図って、王女・寧王女(ねいわんにょ)を陥れようとしていました。
為朝は寧王女を助け、琉球を平定するというものです。

南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)

南総里見八犬伝は、室町時代後期を舞台に、安房里見家の姫・伏姫と神犬八房の因縁によって結ばれた八人の若者(八犬士)を主人公とする長編伝奇小説で、全98巻、106冊の大作です。
江戸時代の戯作文芸の代表作であり、日本の長編伝奇小説の古典の一つです。
馬琴はこの物語の完成に、48歳から76歳に至るまでの後半生を費やしました。
そしてその途中、失明という困難に遭遇しながらも、息子・宗伯の妻のお路の口述筆記により最終話まで完成させることができました。
読本は発行部数も少なく価格も高価でしたが、貸本によって多くの人々に読まれていて、馬琴自身「吾を知る者はそれただ八犬伝か、吾を知らざる者もそれただ八犬伝か」と述べる人気作品でした。

概要

共通して「犬」の字を含む名字を持つ八犬士は、それぞれに仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の文字のある数珠の玉(仁義八行の玉)を持ち、牡丹の形の痣が身体のどこかにあります。
関八州の各地で生まれた彼らは、それぞれに辛酸を嘗めながら、因縁に導かれて互いを知り、里見家の下に結集します。

物語は、結城の戦いに敗れた若武者里見義実(よしざね)が、安房へ落ち延びる場面からはじまります。

やがて安房国滝田の城主になった義実は、隣国の館山城主安西景連(かげつら)の攻撃にあいました。
愛犬八房の働きによって敵将景連は討ち取ったものの、その功績で八房は伏姫(ふせひめ)を連れて富山(とみさん)の洞窟にこもってしまいました。
姫を取り戻しにきた許婚(いいなずけ)の金碗大輔(かなまりだいすけ)は、鉄砲で八房を撃ち殺しますが、伏姫にも傷を負わせてしまいました。
八房の気を感じて懐妊してしまっていた伏姫は、身の純潔を証するため、大輔と父義実が見守るなか、自害してしまいました。

このとき、伏姫が幼い頃に役の行者(えんのぎょうじゃ)から授かっていた護身の数珠から八つの玉が飛び散りました。
この玉が八方へ飛んで、仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌の霊玉を持つ八犬士が登場してくることになります。

この後、金碗大輔は出家して、ちゅだい法師となり、飛び散った八つの玉の行方をもとめて旅に出ます。
伏姫の子供ともいえる八犬士たちは、それぞれ思いがけないところで出会い、はなばなしく活躍します。

八犬士たちとめぐり会ったちゅだい法師こと金碗大輔は、二十数年ぶりに八人を里見義実のもとへ連れ帰りました。
里見家の家臣として里見家の危難を救った八犬士は、義実の八人の孫娘をそれぞれ娶りました。
その後、子どもたちに家督を譲ってからは、富山の山中へ姿をかくして仙人になったというお話です。

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