
今日11月2日は「死者の日・万霊節」です。
キリスト教で、この世を去ったすべての死者の魂のために祈りを捧げる日です。
かつてカトリックでは、人間が死んだ後で、罪の清めが必要な霊魂は煉獄での清めを受けないと天国にいけないが、生きている人間の祈りとミサによってこの清めの期間が短くなるという考え方がありました。
死者の日はこのような発想にもとづいて、煉獄の死者のために祈る日という性格がありました。

ちなみに、前日の11月1日は万聖節・諸聖人の日で、カトリック教会の祝日の一つとなっていて、全ての聖人と殉教者を記念する日です。
かつては「守るべき祝日」の一つで、主日(日曜日)と同様、ミサにあずかるべき日とされていました。
しかしアメリカでは諸聖人の日には、元々国内にてカトリック教会の信徒が少ないせいもあって、これといった行事は催されないのが通常です。
死者のために祈るという発想自体は古代からありましたが、キリスト教の歴史の中で死者の日というものを取り入れたのはクリュニー修道院の院長オディロであるといわれています。
オディロと死者の日についてこんな話があります。
聖地から帰った巡礼者の男が嵐によってとある孤島に打ち上げられました。
そこには1人の修道士が住んでいました。
男はその修道士からある岩を示されました。
その岩の隙間から煉獄の様子が窺えるというのです。
男が覗き込むと煉獄で苦しむ人々の声が聞こえました。
修道士は悪魔が「死者のために祈られると死者の魂が早く天国へいってしまうから不愉快だ」とぼやいているのも聞いたと男に話ました。
男は故郷に帰ると、すぐにオディロに会ってその話を伝えました。
そこでオディロは11月2日を「死者の日」と定めたことにより、死者の霊魂のために祈りを捧げる習慣が生まれました。
そしてクリュニー修道院から系列修道院へとその習慣が伝えられ、やがてフランスから西欧全体へと広まりました。
煉獄とは
カトリック教会では天国には行けなかったが地獄にも墜ちなかった人の行く中間的なところとされ、苦罰によって罪を清められた後、天国に入るとされています。
現行のカトリック教会の教義では、天国は「最高の、そして最終的な幸福の状態」、地獄は「神から永遠に離れ、永遠の責め苦を受ける状態」と定義されているそうですが、「天国の本質が神との一致にあるとすれば、それは当然のことだが、人間は必ずしも終始一貫、神に沿って生きているとはいえず、罪を犯すこともあり、そのため死後に神と一致しようとする際には、自分の内にある神と異質なものは清められることになります。
これが煉獄であると説明されています。
メキシコにおける死者の日

メキシコにおける死者の日は伝統文化であり、風習でもあります。
特にメキシコにおいては、死者を偲び、そして感謝し、生きる喜びを分かち合うことを目的としています。
この伝統は、メキシコにおいて最も重要な風習の一つであり、毎年11月1日と2日、地域によっては、10月31日の晩も前夜祭として祝われます。
死者の日には家族や友人達が集い、故人への思いを馳せて語り合います。
市街地はマリーゴールドの香りに包まれ、公園には露店が立ち並ぶ。11月1日は子供の魂が、2日は大人の魂が戻る日とされています。

日本のお盆に近い位置付けですが、死を恐怖するのではなく、死者とともにあくまで楽しく明るく祝うのが特徴です。
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