
今日10月28日は「速記記念日・速記の日」です。
東京都豊島区高田に事務局を置き、速記の普及・発達を目的とし、速記技能検定の認定などを行う公益社団法人・日本速記協会が制定しました。
1882年(明治15年)のこの日、田鎖綱紀(たくさり こうき)が東京・日本橋で初の速記講習会(日本傍聴筆記法講習会)を開催しました。
この速記法は田鎖が自ら考案したもので、その速さから田鎖は「電筆将軍」と呼ばれました。
1888年(明治22年)に、講習会の7周年記念会を開いた時にこの日を「速記記念日」として制定しました。
現在では日本速記協会が中心となり、広く速記に関する関心を啓発するため、この日を中心に速記競技会やパネル展示などのイベントが実施されます。
日本速記協会では記念日の名称を「速記の日」としています。
速記について

速記とは、速記文字や速記符号とよばれる特殊な記号を用いて、言葉を簡単な符号にして、人の発言などを書き記す方法をいいます。
主に議会や法廷の発言を記録する分野や出版、ジャーナリズムなどで利用されています。
この技術の知識体系を速記法、技術を運用する方法を速記術、実際に運用する者を速記者といいます。
また、日本速記協会では文科省後援・速記技能検定試験で速記技能検定1級、2級に合格し申請した者を、それぞれ一級速記士、二級速記士として認定しています。
日本語の符号速記(手書き速記)は、基礎符号に、文字ではなく、表音機能を持つ図形を用いる方法を採用しています。
その方法には、田鎖式、参議院式、衆議院式、熊崎式、中根式などがあります。
速記の歴史

その起源に関しては定説が成立していませんが、古代ローマ以前に遡ることができるとされ、紀元前400年代の古代ギリシアの碑文に速記が発見されています。
記録としてはっきりしている有名なものとしては、紀元前63年のキケロによるカティリナ弾劾演説の記録で、キケロの奴隷であったマルクス・トゥッリウス・ティロが記したものとされ、ティロの速記と称されています。
その後、理論的体系的に捉えるようになり、各国においてそれぞれの言語で考案、改良されて現在に至っています。
符号を手で書くペンショートハンドのみが長らく行われてきましたが、速記専用タイプライターが開発され、それを用いた機械式も普及していきます。
近年になり、コンピュータを用いての電子機械速記法が行なえるようになり、リアルタイム字幕放送などに使用されています。
発言の逐語記録を作成する用途を担ってきましたが、現代では聴覚障害者等を含めて、コミュニケーション手段としての機能を持つに至っています。
日本における速記
日本において速記の概念が登場したのは江戸時代で、1962年に出版された『英和対訳袖珍辞書』にshorthandの訳語として「語ヲ簡略ニスル書法」と、stenographyの訳語として「早書キヲスル術」と紹介されていました。
明治に入り西洋文明を積極的に導入した明治維新期、西洋の速記を日本語に導入する試みが数多く行われました。
そして国会議事録記録の必要から多くの人々が速記法を考案していきました。

国会の両院規則でも議事は速記によって記録することが衆議院規則201条、参議院規則156条定められています。
初期の国会では議事録の作成は速記のみで行われ、各院に速記者の養成所がありましたが、1951年(昭和26年)に参議院労働委員会でテープレコーダーが導入され採用テストが行われました。
そして2006年には各院独自に設けられていた速記者の養成所が廃止されました。

会議録作成のIT化が進み、手書き速記は本会議や予算委員会などを残して、それ以外の会議においては参議院では2008年から担当職員がモニターで音声と映像を確認してパソコン入力する方式、衆議院では2011年から音声認識システムが導入されました。
そして2023年(令和5年)、参議院議院運営委員会理事会は参議院本会議場などでの速記者を廃止することを決定し、134年の歴史を終了しました。
地方議会でも2010年度(平成22年度)までに24都道府県議会で手書き速記が廃止されました。
デジタル化の進展により、速記技術にも変化が生じています。
音声認識技術の発達は、速記者の仕事に影響を与える可能性がありますが、人の手による速記の精度とニュアンスは、まだまだ代替できない部分があります。
そしてデジタル速記は、手書き速記に比べて、より速く、正確な記録が可能ですが、言葉のニュアンスや感情を捉えるためには、人間の速記者の技術が不可欠です。
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