
今日10月19日は「日ソ国交回復の日」です。

1956年(昭和31年)のこの日、モスクワのクレムリンで、日本の鳩山一郎首相とソ連のブルガーニン首相が「日ソ国交回復の共同宣言(日ソ共同宣言)」に調印しました。
ソ連はサンフランシスコ平和条約では調印しておらず、日本とソ連は戦争状態が続いたままとなっていましたが、この共同宣言により両国の国交が回復し、関係も正常化しましたが、北方領土問題では激しく対立したため、領土問題は棚上げにされたままとなっています。
日ソ共同宣言

日ソ共同宣言は、1956年(昭和31年)10月19日に調印され、12月12日に批准された条約で、日本とソ連の交戦状態を終わらせ、国交を回復したことを定めています。
日ソ共同宣言の主な内容は次のとおりです。
1.交戦状態の終了
2.外交・領事関係の回復
3.国際連合憲章の尊重
4.日本の国連加盟へのソ連の支持
5.ソ連に抑留されていた日本人の送還
6.ソ連の対日賠償請求権の放棄
7.通商関係設立交渉の開始
8.平和条約締結交渉の継続
9.歯舞群島・色丹島の返還(平和条約の締結後に引き渡される)
この宣言は、当時の首相である鳩山一郎がソ連と交渉を重ねて締結したもので、日本は同年12月に国際連合に加盟しました。
日ソ共同宣言では、北方領土問題については解決されず、平和条約の締結交渉が継続されました。
北方領土

北海道の北東洋上に連なる歯舞(はぼまい)群島、色丹(しこたん)島、国後(くなしり)島、択捉(えとろふ)島からなる「北方領土」は、これまで一度も外国の領土になったことのない我が国固有の領土ですが、ロシアによる不法占拠は今なお続いています。
その総面積は、福岡県や千葉県の面積とほぼ同じ大きさで、択捉島と国後島は沖縄本島よりも大きく、日本で一番目、二番目に大きい島です。
また、北海道根室市の納沙布岬(のさっぷみさき)から一番近い歯舞群島の一つである貝殻島までの距離は、わずか3.7kmです。

終戦時には17291人の日本人が住んでいて、漁業などが盛んに行われていました。
しかし第二次世界大戦末期の1945年8月9日、ソ連は当時まだ有効であった日ソ中立条約を無視して対日参戦し、満州や樺太、千島列島へ攻め込みました。
そして、日本が降伏した後も攻撃を続け、8月28日から遅くとも9月5日までに北方四島を占領してしまいました。
島民の約半数は自ら脱出しましたが、島に残った島民も昭和22年から23年にかけて劣悪な環境の中、樺太経由の引き上げを余儀なくされました。
以来、北方四島は日本の領土でありながら、日本人が一人も住んでいません。

北方領土の一日も早い返還を実現し、この問題を解決するためには、私たち一人ひとりがこの問題への関心と理解を深め、返還に向けた強い意思を世代・地域 を超えて共有することが大切です。
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