9月25日 藤ノ木古墳記念日

今日は何の日

今日9月25日は「藤ノ木古墳記念日」です。

1985年(昭和60年)のこの日、奈良県生駒郡斑鳩町の「藤ノ木古墳」の石室などが発堀されました。
藤ノ木古墳は、直径約50m・高さ約9mの円墳で、玄室内から大量に出土した土師器、須恵器の年代から古墳時代後期の6世紀後半に作られたものと考えられています。この時期に畿内では前方後円墳の造営が終わりに近づいていました。
そして古墳の裾には円筒埴輪が並べられていました。
この埴輪により、大和での埴輪の設置は6世紀前半で終わったと考えられていましたが、その見解を訂正することとなりました
「藤ノ木」の名称は、所在地の字名に由来していますが、法隆寺関係の古文書・古記録によれば、かつては「ミササキ」「陵山」(みささぎやま)などと呼ばれていました。

1985年に第1次調査が行われ、1988年(昭和63年)6月に国内の発掘調査史上初めてファイバースコープを使った石棺の内部調査が行われ、その年の10月8日に1400年ぶりに石棺の蓋が開かれました。
この古墳の第一の重要性は、未盗掘で埋葬当時の姿がほぼそのまま残っており、当時の埋葬儀礼を解明する上で貴重な資料となりました。

古墳は法隆寺西院伽藍の西方約350mに位置し、現在は周辺が公園として整備され、説明板なども多数設置されておて、法隆寺周辺の観光スポットとなっています。
また、古墳から南へ200mほどのところに、史跡案内施設(斑鳩文化財センター)もあり、主な出土品の複製品が展示されています。
奈良県立橿原考古学研究所では出土した馬具を3Dプリンターで復元し一部は一般でも触れるようにしているそうです。

石室は、未盗掘の横穴式石室で、家形石棺に成人男性2人が合葬されていました。
そして横穴式石室は、現墳丘裾から盛り土を少し取り除いたところに羨道(えんどう)の入り口(羨門 えんもん)があり、その羨道を少し進むと両袖式の玄室があります。
この玄室は円墳の中心部に設けられていて、石室規模は、全長14m弱で石室の床には礫が敷かれ、その下を排水溝が、玄室中央から羨道を通って墳丘裾へと敷かれています。
石棺は、玄室の奥の方に安置されていて、石材は二上山の白色凝灰岩で造られていて、石棺の内や外は、赤色顔料(水銀朱)で塗られていました。

古墳は国の史跡に指定されています。
また、出土品は日本の古墳文化研究上価値の高いものとして、石棺内外出土品が国宝に指定されています。
っそれら出土品は日本国(文化庁)所有で、奈良県立橿原考古学研究所附属博物館において保管・展示されています。

発掘後は、国が所有し、町が管理をしている古墳でしたが、斑鳩町には整備費用もなく、藤ノ木古墳の周りをトタン塀で囲い、草が生い茂る状態でした。
その中、1995年に大阪の中学生3人が自転車で来て石室に侵入して、家形石棺の前面のふたの中央部を金づちと大型くぎで半月状に削り取り、その石棺の破片と後世の骨壺1つを持ち出す「史跡藤ノ木古墳石棺き損事件」という整備の重要さを認識させる事件が発生してしまいました。
この事件をきっかけに、その後石棺の蓋は修復され、藤ノ木古墳は国費により補助されてトタン囲いは撤去され、現在では古墳公園として整備されています。

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