8月17日 プロ野球ナイター記念日

今日は何の日

今日8月17日は「プロ野球ナイター記念日」です。

戦後間もなくの1948年(昭和23年)のこの日、横浜ゲーリッグ球場(現在:横浜スタジアム)で日本初の夜間の公式試合・読売ジャイアンツ対中日(当時は中部)ドラゴンズ戦が行われました。
初のナイター試合は、、20時08分開始で開催されました。
結果は3-2で中日が勝利しまた。
夜間開催試合」のことを意味する「ナイター」という言葉もこの時に初めて使われました。

現在の横浜スタジアムは横浜DeNAベイスターズの本拠地ですが、その前身の大洋ホエールズが横浜を本拠地にしたのは、1978年のことでした。

「横浜ゲーリッグ球場」という名前は、実は終戦後の11945年に横浜公園球場が駐留軍に接収され、37歳の若さで亡くなったメジャーリーグの英雄ルー・ゲーリッグに敬意を表して駐留軍が「ゲーリッグ球場」と命名されました。
そして、特筆すべきは「日本初の夜間照明塔」が完成したことといえます。

また、この日に有名なアメリカ大リーグのベーブ・ルースの死去が報じられ、試合前に全員で黙祷が捧げられました。

ちなみに初めて日本で「ナイターゲーム」が行われたのは1933年7月10日の早稲田大学野球部の二軍対新人戦だったそうです。

ナイターとは

ナイター」という言葉はこの記念日から2年後に、週刊ベースボール誌上で初めて使われました
そこから「ナイター」が浸透していきました
「ナイター」は日本で作られた和製英語とされ、正式には「night game」(ナイトゲーム)と呼ばれますが、ナイター(nighter)は、野球に限らず「夜間興行」という意味で用いられる場合があるという意見もあるそうです。

ハプニング続出のナイター

その明るさは現在の照明とは段違いで、球場全体に闇がかかる程度の明るさだったようで、しかもとっぷり日が暮れてからのプレイボールでした。
そのため、様々なハプニングが続出しました。

1.ホームランボールが跳ね返ったのか、フェンス直撃の二塁打なのか、審判が判断できず試合が一時中断
2.当時のライトは雨に濡れると割れる危険性があったため、雨が強くなった場合は一斉消灯に
3.当時の照明の明るさは現在のナイター設備の約10分の1で、照明はついているものの、暗さで白球のゆくえを見失ってしまう

等々、そのため数々のハプニングによって、試合が一時中断することは珍しくありませんでした。

ナイター以外の野球に関する和製英語

デーゲーム」も実は和製英語で、英語では、昼間に行われる試合のことは「daylight game(日差しの下で行う試合)」と呼んでいます。
また、「タッチアウト」も英語では「付きまとう」を意味する「tag」を使い「tag the runner out」と言います。

ルー・ゲーリッグ

本名はヘンリー・ルイス・ゲーリッグといい、ニューヨーク州ニューヨーク市生まれで、ニューヨーク・ヤンキースで活躍しました。
三冠王をはじめ、打撃タイトルを多数獲得し、史上最高の一塁手と称されています。
また、毎日プレーを厭わないその頑丈さから鉄の馬(Iron Horse)と呼ばれ、1925年からの14年間に渡り、当時の世界記録となる2130試合連続出場を果たしました。
そして、1939年に当時史上最年少で殿堂入りを果たし、MLB(Major League Baseball:メジャーリーグベースボール)史上初めて自身の背番号「4」が永久欠番に指定された選手ともなりました。

ベーブ・ルース

ベーブ・ルースは、本名はジョージ・ハーマンといい、童顔であったことから「バンビーノ(The Bambino)」「ベーブ(Babe)」の愛称で呼ばれました。
左投げ左打ち。花形投手としてボストン・レッドソックスでメジャーデビューし、外野手の強打者としてニューヨーク・ヤンキースで最も名声を博しました。
打者としての生涯通算成績は、714本塁打で本塁打王12回獲得しています。その他にも数々のMLB(Major League Baseball:メジャーリーグベースボール)記録も打ち立てています。
最近では元祖「二刀流」としての注目も再度集めています。
そのベーブ・ブルースは1948年(昭和23年)8月16日、がんのため、ニューヨーク市内の病院において53年の生涯を閉じました。
アメリカの文化において最も偉大なスポーツ界の英雄の一人であり、史上最も偉大な野球選手であるとみなされています。

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