7月28日 乱歩忌

今日は何の日

今日7月28日は「乱歩忌」です。

大正・昭和時代の日本の推理小説の生みの親江戸川乱歩の1965年(昭和40年)7月28日にクモ膜下出血のため東京都豊島区池袋の自宅にて亡くなりました。。享年70歳。
その忌日は「石榴忌ざくろき)」と呼ばれ、名称は、1934年(昭和9年)に発表された中編小説『石榴(ざくろ)』に因んでいます。

江戸川乱歩について

1894年(明治27年)10月21日、三重県名賀郡名張町(現:名張市)に生まれました。
本名は平井太郎(ひらい たろう)。ペンネームの江戸川乱歩はアメリカの小説家エドガー・アラン・ポーのもじりです。
1916年(大正5年)、早稲田大学政治経済学部を卒業後は職を転々としますが、1923年(大正12年)、総合雑誌『新青年』の編集長・森下雨村(もりした うそん)に認められ、同誌に掲載された『二銭銅貨』で文壇にデビューします。
その後に発表された『D坂の殺人事件』や『心理試験』などの本格派と呼ばれる短編作品を執筆し、日本の探偵小説の基礎を築きます。
さらに『陰獣(いんじゅう)』を発表すると、当時の『新青年』の編集長・横溝正史は「前代未聞のトリックを用いた探偵小説」と絶賛し、雑誌が増刷されるほどの話題を呼びました。
また、少年向け推理小説として、明智小五郎小林少年少年探偵団が活躍する『怪人二十面相かいじんにじゅうめんそう)』や『少年探偵団』などがあります。

戦後は主に評論家・プロデューサーとして活動する傍ら、探偵小説雑誌『宝石』の編集・経営に携わり、日本推理作家協会の前身である日本探偵作家クラブの創立と財団法人化に尽力します。
同クラブへの寄付を基金として江戸川乱歩賞が制定され、同賞は現在では推理作家への登竜門として知られています。

小説 石榴(ざくろ)のあらすじ

探偵小説が好きな警察官(主人公)が信州の鄙びた旅館で同じように探偵小説が好きな猪俣氏と以前に担当した事件について、語り合います。
それは、名古屋の老舗の貉(むじな)饅頭屋に絡む元祖争いの事件で、本家争いをする二つの饅頭屋の主人(谷村万右衛門と琴野宗一)のどちらが殺されたかという事件でした。
死体は、硫酸で顔が焼き爛れて人相が見分けられませんでした。
最初は、死体が着ていた着物から、一方の主人である琴野宗一とされたが、該当警察官の指紋捜査により、殺されたのは谷村と覆っていました。
しかし、猪俣氏は、更にその奥があるのではないかと指摘し、猪俣氏が当の谷村であり顔を色々と整形したことを告白します。
そして告白し終えた猪俣(谷村)は参考としたトリックが書かれた小説の本と、整形の証である片目の義眼を残して断崖より身を投げて自殺しました。

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