7月26日 幽霊の日

今日は何の日

今日7月26日は「幽霊の日」です。

1825年(文政8年)のこの日、江戸の中村座で四代目・鶴屋南北(つるや なんぼく)作の歌舞伎狂言『東海道四谷怪談』が初演されました
東海道四谷怪談(通称『四谷怪談』)は、夫の田宮伊右衛門に毒殺された四谷左門の娘お岩の復讐話で、江戸の町に実際に起こった事件をモデルにしています。

この話は怪談の定番とされ、鶴屋南北の歌舞伎や三遊亭圓朝(さんゆうてい えんちょう)の落語が有名で、また映画化やテレビドラマ化もされていて、様々なバージョンが存在します。

四谷怪談の舞台となったのは江戸の雑司ヶ谷四谷町(現:豊島区雑司が谷)です。
基本的なストーリーは「貞女・岩が夫・伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というものです。

なお、実際に起きた事件の内容には、諸説ありますのでここでは省かせていただきます。

東海道四谷怪談のあらすじ

暦応元年(1338年)、元塩冶家の家臣、四谷左門の娘・岩は夫である伊右衛門の不行状を理由に実家に連れ戻されていました。
伊右衛門は左門に岩との復縁を迫るが、過去の悪事(公金横領)を指摘され、辻斬りの仕業に見せかけ左門を殺害します。
同じ場所で、岩の妹・袖に横恋慕していた薬売り・直助は、袖の夫・佐藤与茂七(実は入れ替った別人)を殺害していました。
ちょうどそこへ岩と袖がやってきて、左門と与茂七の死体を見つけます。
嘆く二人に伊右衛門と直助は仇を討ってやると言いくるめ、伊右衛門と岩は復縁し、直助と袖は同居することになります。

田宮家に戻った岩は産後の肥立ちが悪く、病がちになったため、伊右衛門は岩を厭う(いとう)ようになります。
高師直の家臣・伊藤喜兵衛の孫の梅は伊右衛門に恋をし、喜兵衛も伊右衛門を婿に望みました。

高家への仕官を条件に承諾した伊右衛門は、按摩の宅悦を脅して岩と不義密通を働かせ、それを口実に離縁しようと画策します。
喜兵衛から贈られた薬のために容貌が崩れた岩を見て脅えた宅悦は伊右衛門の計画を暴露してしまいます。

岩は悶え苦しみ、置いてあった刀が首に刺さって死んでしまいます。
伊右衛門は、仕えていた小仏小平(こぼとけこへい)を家宝の薬を盗んだ咎で捕らえていたので、それを間男に仕立て上げ惨殺し、伊右衛門の手下は岩と小平の死体を戸板の表と裏にくくりつけ、川に流します。

そして、伊右衛門は伊藤家の婿に入りますが、婚礼の晩に幽霊を見て錯乱し、梅と喜兵衛を殺害、逃亡してしまいます。

袖は宅悦に姉の死を知らされ、仇討ちを条件に直助に身を許すが、そこへ死んだはずの与茂七が帰ってきます。
結果として不貞を働いた袖は、敢えて与茂七、直助二人の手にかかり死にます。
袖の最後の言葉から、直助は袖が実の妹だったことを知り、自害してしまいます。

逃亡していた伊右衛門は、蛇山の庵室で岩の幽霊と鼠に苦しめられて狂乱します。
そこへ真相を知った与茂七が来て、舅と義姉の敵である伊右衛門を討ちます。

お岩稲荷

現在の四谷左門町には於岩稲荷田宮神社と於岩稲荷陽運寺が、道を挟んで両側にあります。
また、中央区新川にも於岩稲荷田宮神社がある。これらの寺社はお岩さんを祀っており、「お岩稲荷」などと呼ばれています。
このように、お岩稲荷が複数もできた要因としては単純に儲かるためで、歌舞伎俳優は元より、お岩の浮気に対して見せた怨念から、男の浮気封じに効くとして花柳界からの信仰を集めたため、賽銭の他に土産物などで地元経済が潤ったからと推察されます。

東海道四谷怪談題材の作品

東海道四谷怪談題材の作品には、は江戸時代末期の浮世絵師・歌川国芳(うたがわ くによし)や、江戸時代の浮世絵師・歌川豊国(うたがわ とよくに)の『東海道四谷怪談』、同じく江戸時代の浮世絵師・葛飾北斎(かつしか ほくさい)の『近世怪談霜夜星』挿絵などがあります。

コメント

タイトルとURLをコピーしました