7月23日 米騒動の日

今日は何の日

今日7月23日は「米騒動の日」です。

1918(大正7年)のこの日、富山県魚津の漁家の主婦ら数十人が米の積み出しを行っていた十二銀行(当時の銀行はお米の倉庫でもありました)の米倉庫前に集まり、米の県外への積み出しを阻止し、地元住民に販売するよう集団行動を起こし、米の搬出は中止されました。これを新聞が「越中女房一揆」(えっちゅうにょうぼういっき)として報道したことにより、この行動がきっかけとなり、米の安売りを求める騒動が全国1道3府38県に広がり、9月までに、500か所以上に広がった米騒動の始りとなりました。

この時代、第一次世界大戦後の物価上昇の中、都市部の人口増による米不足、農村から都会へ働きに行く人が増えて農作業をする人が減り米の需要拡大に生産が追いつかなかったことや、米の輸入が自由化されなかったこと等により米価が急騰しました。また、民本主義の普及に伴って反政府的気分が高騰し、異常な米価の高騰をきっかけに全国的な騒動が起きました。

魚津の運動を皮切りに富山湾沿岸一帯で米価引き下げ・困窮者救済の要求運動が発生し、これが新聞で報道されると、8月に入ると名古屋と京都で大騒動が起こるなど全国に波及し、騒動は9月17日まで続きました。
その騒動は、警察だけでは鎮圧できず、最終的には軍隊まで投入され、30人の死者と多数の負傷者を出しました。
さらに、時の政府は新聞報道を規制するなどして鎮圧しようとしました。
しかし、これは言論報道の自由を要求する運動にも発展し、1918年(大正7年)9月21日に寺内正毅内閣は総辞職し、原敬内閣が誕生し、民衆からは「平民宰相」と呼ばれ、歓迎されました。

前述の「民本主義」とは、大正時代、吉野作造の提唱した民主主義の思想。日本は天皇が主権者である君主国であったため、人民主権を意味する民主主義と区別して用いられ、憲政の実際面で「人民のための」政治を実現しようとしたものです。以来、普通選挙法や婦人参政権運動など、大正デモクラシーの指導原理となりました。

なお、米騒動が近年は評価される動きがあり、魚津市大町の十二銀行(北陸銀行の前身)倉庫前には「魚津市の自然と文化財を守る市民の会」による「米騒動発祥の地」の標柱が立ち、富山市水橋館町の郷土史料館の敷地内にも記念碑が設置されました。

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