
今日7月19日は「女性大臣の日」です。
1960年(昭和35年)のこの日、日本初の女性大臣が誕生しました。
岸内閣の後を受けて第1次池田勇人内閣が発足し、中山マサ衆議院議員が厚生大臣として入閣しました。
中山マサ氏の入閣を進言したのは、後の内閣総理大臣・大平正芳氏でした。
厚生大臣としての在任期間は5ヵ月と短かったですが、母子家庭への児童扶助手当支給を実現しました。
中山マサ氏について
中山マサ氏は、1891年(明治24年)1月19日、長崎県長崎市にイギリス人の父と日本人の母の一人娘として生まれました。
地元の活水高等女学校を卒業後、アメリカに渡り、アルバイトをしながら米国オハイオ州のオハイオ・ウェスリアン大学を卒業。
帰国後は活水女子英語専門学校、長崎市立高等女学校の教師を務めました。
また、弁護士で後に自由民主党参議院議員となる中山福蔵(なかやま ふくぞう)氏と結婚し、大阪に住みました。
戦後の1947年(昭和22年)、第23回衆議院議員総選挙に民主党公認で旧大阪2区より立候補し当選。以後、当選8回。
1953年(昭和28年)に発足した第5次吉田茂(よしだ しげる)内閣で厚生政務次官を務めました。
世界各国の議会で女性議員が占める割合は全体で26.1%と過去最高になった一方、日本は1割に満たず、世界191か国中165位(2022年3月現在)。
政治の世界ではジェンダー平等にはまだまだ程遠い状態と言えましょう。
世界の状況を見ると昨年2月で退任したニュージーランドのジャシンダ・アーダーンやアメリカで初の女性&インド系、アフリカ系の副大統領になったカマラ・ハリス、フィンランドで34歳という世界最年少の若さで首相に就任したサンナ・マリンに続き、学校の先生から地方議会を経てウガンダ首相になりコロナ禍で手腕を発揮したロビナ・ナッバンジャ、ロシアの隣国で緊張関係を強いられているリトアニア首相のイングリダ・シモニーテなど、次々と女性のリーダーたちが誕生しています。
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