7月16日 カラヤン忌

今日は何の日

今日7月16日は「楽壇の帝王」と呼ばれたオーストリアの指揮者・カラヤンは82年の生涯を閉じた日です。

ヘルベルト・フォン・カラヤンは、オーストリアのザルツブルク生まれの指揮者で、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の終身指揮者・芸術監督を務め、一時期それと同時にウィーン国立歌劇場の総監督やザルツブルク音楽祭の芸術監督などのクラシック音楽界の主要ポストを独占し、多大な影響力を持ちました。
20世紀のクラシック音楽界において最も著名な人物のひとりで、日本では「楽壇の帝王」と称されていました。
また、その独自の音楽性と自己演出は「魔術師カラヤン」「カラヤン美学」などと謳われ時代の寵児にもなりました。

そして1989年4月24日、ウィーン・フィルとの演奏会出演の翌日に、健康上の理由でベルリン・フィルの芸術監督と終身指揮者を辞任しました。
同年7月16日、当時ソニーの社長だった大賀典雄がカラヤンの自宅を訪ねた時、カラヤンは「左胸のあたりが調子悪いから、自宅の温水プールで泳いだ」と語っていたそうです。
友人でもあった大賀は、カラヤンに次世代のデジタルビデオ・カメラを出来るだけ早く納品する約束と、カラヤンがレーザーディスクでの発売しか認めていなかったレガシー・シリーズの映像作品を8ミリのソフトで発売しないかという営業に来ていました。
エリエッテ夫人がシャワーを浴びている時に、カラヤンが突然ぐったりとなり、大賀の腕に抱かれたまま心肺停止の状態になり、緊急のヘリコプターが呼ばれましたが、すでに手遅れとなり、そのまま帰らぬ人となりました。

日本とカラヤン

日本との関係は古く、1954年の初来日以降、11回来日しています。
日本でのカラヤンの人気は高く、指揮者の代名詞としてクラシック・ファンのみならず、一般大衆もその認知するところでした。
中でもカラヤンの『運命』と『未完成』をカップリングしたLPは、カラヤンの存命中に、日本で約150万枚を売り上げた大ヒットレコードでした。

カラヤンは音楽の映画化やビデオ化にも強い関心を示し、1970年に来日した際にはソニーと記者会見を行い、カラヤンが製作する音楽ソフトのビデオ化に協力していくことを発表しました。
家庭用ビデオデッキが製品化される5年前の事でした。

また、カラヤンは、東京・赤坂にある日本有数のコンサートホールとされるサントリーホールの建設にも設計の段階から携わり、そのサントリーホール大ホールは、カラヤンとベルリン・フィルの本拠地であったベルリン・フィルハーモニーをモデルにしており、両ホールはヴィンヤード型座席がステージを囲み、ブドウ園の傾斜したテラスのように鋸歯状の列で立ち上がるコンサートホールのデザイン)と呼称されるタイプのコンサートホールでした。
サントリーホール建設時の業績を称えて、サントリーホール前の広場が「カラヤン広場」と命名され、今日もその名を刻んでいます。
サントリーホールのオープニングを祝う来日公演は、病気でキャンセルを余儀なくされ、弟子である日本人指揮者小澤征爾に代役がゆだねられました。

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