
今日7月12日は「ラジオ本放送の日」です。
日本放送協会(NHK)が1943年(昭和18年)に制定しました。
1925年(大正14年)のこの日、社団法人東京放送局(現在のNHK東京放送局)が日本初のラジオ本放送を始めました。
東京・芝浦の東京高等工芸学校(千葉大学工学部の前身)に仮スタジオを設け、午前9時30分、京田武男アナウンサーの「アー、アー、アー、聞こえますか。JOAK、JOAK、JOAK、こちらは東京放送であります。こんにち只今より放送を開始致します」という第一声が放送されました。
元々は3月1日に放送を開始する予定でしたが、購入予定の日本にたった1台しかない放送用送信機が、同じく設立準備中の大阪放送局(現在のNHK大阪放送局)に買い取られてしまったため、東京放送局は、東京電気研究所の送信機を借り放送用に改造して使用することにしましたが、2月26日の逓信省(後の郵政省、現:総務省)の検査で「放送設備は未完成のため3月1日からの放送はできない」と判断されてしまいました。
既に3月1日から放送を開始すると報じており、また、大阪放送局よりも先に日本初のラジオ放送を行いたいということで、「試験放送」という形で逓信省の許可を受け、なんとか3月1日から放送を開始することができました。
3月22日(放送記念日)には逓信省から正式に免許を受けて仮放送を開始し7月12日に愛宕山からの本放送が開始されました。
ちなみに大阪放送局はその年の6月1日から仮放送を開始しました。
送信所のあった愛宕山は、当時の東京府東京市芝区、現在の東京都港区愛宕にある丘陵で、標高は25.7m。
天然の山としては東京23区内で最も高い場所でした。
そして、江戸時代から愛宕山は、歴史ある愛宕神社や曹洞宗青松寺がある信仰と、山頂からの江戸市街の景観の素晴らしさで有名な場所でした。
現在では当地にNHK放送博物館があり、愛宕山の周囲には愛宕グリーンヒルズツインタワーなど超高層ビル群が建ち並んでいます。
NHK放送博物館では、ラジオが生まれた時代の貴重な資料を一般公開していますので、放送の歴史に興味を持った方はぜひ一度「放送のふるさと」愛宕山に足を運んでみてはいかがでしょうか。。
放送開始当初、ラジオを聴くには届け出と月額1円の聴料が必要でしたが、それにもかかわらず放送開始時の加入数は3500件、7ヵ月後には一挙に10万件まで増え、人々がラジオに大きな関心を寄せていた様子がうかがえます。一般家庭では1928年に発売された真空管ラジオや甲子園からの野球中継やラジオ体操の始まりなどがきっかけとなり広まっていきました。
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