7月6日 零戦の日

今日は何の日

1939年(昭和14年)のこの日、零式艦上戦闘機れいしきかんじょうせんとうき)の試作機の試験飛行が始まりました。
正式には零式艦上戦闘機といい、零戦ぜろせんれいせん)、ゼロ戦の略称で知られています。
連合国側の米英の戦闘機に対し優勢に戦ったことから敵パイロットから「ゼロファイター(Zero Fighter)」と呼ばれていました。

その零式艦上戦闘機は、1936年に大日本帝国海軍に制式採用された九六式艦上戦闘機の後継機として開発され、日中戦争から太平洋戦争にかけて戦場で活躍しました。

しかし、大戦中期以降は、アメリカ陸海軍の対零戦戦法の確立、F4UコルセアやF6Fヘルキャットなど新鋭戦闘機の投入で劣勢となっていましたが、後継機である十七試艦上戦闘機「烈風」の開発が大幅に遅れたことにより、終戦まで日本海軍航空隊の主力戦闘機とならざるを得ませんでした。
そのため、大戦末期には、戦闘爆撃機や特攻機としても改造され使用し続けられました。

名前の由来は、当時の日本の軍用機は、採用年次の皇紀下2桁を名称に冠する規定になっていました。
そのため零戦の「零式」との名称は、制式採用された1940年(昭和15年)は皇紀2600年にあたり、その下2桁が「00」であるためです。
その皇紀とは、明治政府が定めた日本独自の紀元(きげん=歴史上の年数を数える出発点となる年。 紀年法)で、1872(明治5)年に明治政府が、神武(じんむ)天皇が即位した年を、古事記と日本書紀の記載から西暦紀元前660年と決め、その年を皇紀元年としました。

風立ちぬ

風立ちぬ』(かぜたちぬ)は、宮崎駿監督スタジオジブリ制作の長編アニメーション映画です。

航空技術者・堀越二郎(零戦の開発者)の半生と、作家・堀辰雄の同名の小説の内容が、主な題材となっています。

あらすじ

飛行機に憧れている少年・堀越二郎は、夢に現れた飛行機の設計家・カプローニ伯爵に励まされ、自分も飛行機の設計家になることを志します。青年になった二郎は東京帝国大学で飛行機の設計学を学び、関東大震災が発生した際に乗車していた汽車の中で偶然出逢った少女・里見菜穂子と、菜穂子の女中である絹を助けます。

世間は世界恐慌による大不景気へと突入していました。
東京帝国大学を卒業した二郎は飛行機開発会社「三菱」に就職します。
“英才”と会社から評価される二郎は上司たちからも目をかけられ、企業の命運を左右する一プロジェクトの頓挫やドイツへの企業留学など仕事に打ち込みました。

その結果入社から5年後、大日本帝国海軍の七試艦上戦闘機開発プロジェクトの先任チーフに大抜擢されますが、完成した飛行機は空中分解する事故を起こしてしまいます。
飛行機開発において初の挫折を経験し意気消沈した二郎は、避暑地のホテルで休養を取り、そこで思いかけずに菜穂子と再会すします。
元気を取り戻した二郎は、菜穂子との仲を急速に深めて結婚を申し込みます。
菜穂子は自分が結核であることを告白しましたが、二郎は病気が治るまで待つことを約束して、二人は婚約します。

しかし、菜穂子の病状は良くなるどころか悪化の一途を辿ります。
菜穂子は二郎とともに生き続けることを願い、人里離れた病院に入院。
二郎は菜穂子に付き添って看病したかったが、飛行機の開発を捨てるわけにはいかず、そのまま菜穂子と結婚して毎日を大切に生きることを決意すします。

二人の決意を知った二郎の上司・黒川の自宅にある離れに間借りして、二人は結婚生活を送りはじめました。
しかし、菜穂子は日増しに弱っていき、飛行機が完成して試験飛行が行われる日の朝、菜穂子は二郎を見送ると、置き手紙を残して密やかに二郎の元を去り、サナトリウムに戻っていきます。

ふたたび夢に現れたカプローニ伯爵は、二郎が作った飛行機を褒め称えるが、二郎は自分の飛行機が一機も戻ることはなかったと打ちひしがれます。
しかし、同じ夢の中で再会した菜穂子から「生きて」と語りかけられます。

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