7月5日 栄西忌

今日は何の日

今日7月5日は「栄西忌」です。

日本臨済宗の開祖・栄西(えいさい、ようさいともいう)の1215年(建保3年)のこの日に京都の建仁寺にて入滅されました。

明菴(みょうあん)栄西は、平安時代末期から鎌倉時代初期の僧で、日本における臨済宗の開祖、建仁寺の開山、天台密教葉上流の流祖です。
また、廃れていた喫茶の習慣を日本に再び伝えたことでも知られています。

備中(びっちゅう)国(現在の岡山県)に生まれ、14歳で延暦寺に入って天台宗を学びましたが、座主争いに現を抜かす僧侶に不満を抱き、真の仏の教えを学ぶため、二度宋(中国)にわたり禅宗を学び,臨済宗を伝えました。
帰国後、鎌倉幕府に支持され、博多に聖福寺、京都に建仁寺、鎌倉に寿福寺を建立し布教につとめました。
はじめ天台宗に圧迫されましたが、『興禅護国論こうぜんごこくろん)』を書いて禅を盛んにすることが国家を護ると説といて,保護を受けるようになりました。

また、栄西は『喫茶養生記』という日本で初めてお茶の効用を説いた書物も著し、室町時代以降、この喫茶養生記が手本となって「茶の湯文化」が発展していったことから、栄西は日本へ茶の文化を伝えた最初の人物としても、名を知られることになったのです。
そしてそれまでは日本の貴族だけに広まっていた「喫茶」を武士や庶民にも茶を飲む習慣が広まるきっかけを作りました。

臨済宗とは

中国では、臨済宗(りんざいしゅう)は、中国の禅宗五家(臨済・潙仰・曹洞・雲門・法眼)の一つで、中国、日本、台湾、韓国などに信徒を持っています。
そして日本仏教においては禅宗(臨済宗・曹洞宗・日本達磨宗・黄檗宗・普化宗)の一つであり、鎌倉仏教の一つです。

同じ禅宗の曹洞宗が地方豪族や一般民衆に広まったのに対し、鎌倉幕府、室町幕府という時の武家政権との結び付きが強かったのも特徴の1つで、京都五山鎌倉五山のどちらも全て臨済宗の寺院で占められています。
このことは、室町文化の形成にも多大な影響を与えました。
しかしながら、その後、足利氏の権勢とともに臨済宗も衰退していっていましました。

江戸時代になって、白隠禅師(1686年 – 1769年)によって臨済宗が再建されたため、現在の臨済禅は白隠禅とも言われています。
そのことから白隠禅師は「中興の祖」と言われています。
この時代、臨済宗で勢力を拡大したのは妙心寺派と大徳寺派でしたが、白隠も妙心寺派の出です。

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