
今日7月4日は「アメリカ合衆国独立記念日(Independence Day)です。
1776年のこの日、英国からの自由と独立を宣言し、アメリカ合衆国(United States of America:USA)が誕生しました。
そのアメリカ独立宣言が公布されたことを記念して、毎年7月4日に定められているアメリカ合衆国の祝日です。
英語表記は「Independence Day」(インディペンデンス・デイ)。また、「7月4日」を意味する「Fourth of July」と言えば「独立記念日」を指します。
独立を目指す植民地と本国イギリスとの戦いは、トーマス・ジェファーソン、ジョン・アダムス、ベンジャミン・フランクリンが、1776年7月4日に公布された「独立宣言」に署名したことで終結を迎えることとなりましたが、その宣言には、13の植民地の代表者56名が署名しています。
ちなみに、アメリカの「建国の父」と呼ばれる人物のうち、いずれも大統領となったトーマス・ジェファーソン、ジョン・アダムス、ジェームズ・モンローの3人はみな、独立記念日の7月4日に亡くなっているという奇妙な偶然もあり、しかもジェファーソンとアダムスは、建国から50周年を迎えた1826年に亡くなっています。
また、1584年にイギリスの探検家ウォルター・ローリーが、北米開拓の為にヴァージニア州に上陸したのもこの日でした。
ローリーの北アメリカ・バージニア(現在のバージニア州とノースカロライナ州を含む)への植民計画は、ロアノーク島においては失敗に終わったものの、後続の植民地への道筋を開いた。彼の航海は当初彼自身と友人達の出資で行われており、アメリカの植民地を築けるほどの安定した収入が得られなかったのである。17世紀前半に行われた後続の植民は、株式会社であるバージニア会社によって行われており、充分な植民地を作り出せるだけの資本金を共同出資することが可能であった。バージニア植民地はこうした苦難の果てに成し遂げられたが、ローリーは植民が長続きせず失敗したとはいえ、部下のホワイトに指示した統治方針(入植者の私生活に干渉しない、信教の自由、公平な徴税)はその後のイギリスの植民地統治の手本になりました。
しかし、独立戦争の発端となったのは、植民地の徴税問題だったのは、皮肉な結果でした。
さて、1775年、ジョージ・ワシントンを総司令官とする「アメリカ独立戦争」が始まりました。
当時アメリカに13あったイギリスの植民地は、1774年、それぞれの代表者による「大陸会議」を組織し、1776年6月に開催された会議に、バージニアの代表だったリチャード・ヘンリー・リーが、「独立の決議」を提案しました。
そして、それに基づき作成されたトーマス・ジェファーソンによって起草された「独立宣言」の草案が、7月2日にフィラデルフィアで開かれた会議に提出され、同月4日に大陸会議によって採択されました。

7月4日は、「独立記念日(インデペンデンス・デイ)」という呼称が最も一般的であり、最も米国らしい祝日と言われ、独立記念日の一週間はクリスマス、感謝祭と並び全米が祝日モードとなります。首都ワシントン、ボストン等の都市では大型の花火打ち上げや屋外コンサートが行われ、米国内外から訪れる大勢の観光客で賑わいます。
アメリカの国旗及び自由の女神

6月14日(フラッグデー)に制定されたアメリカの国旗の赤と白の13本の線は、独立当時の13州を意味し、50個の白い星は現在の50州の数を表しています。
独立を祝ってフランスから贈られたのが、ニューヨーク港入り口にある「自由の女神像」である。

日本では「独立記念日」を祝うカーニバルで初めてソフトクリームが販売されたことに由来して、7月3日は「ソフトクリームの日」となっています。
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