
今日6月28日は「貿易記念日」です。
通商産業省(現:経済産業省)が1963年(昭和38年)に制定しました。
その由来は1859年(安政6年)6月28日(旧暦5月28日)、江戸幕府が列強の圧力により、アメリカ・イギリス・フランス・オランダ・ロシアの5ヵ国との間で結んだ友好通商条約に基づいて横浜・長崎・箱館(函館)の3港を開港し、自由貿易を許可する布告を出したことによります。
貿易に携わる企業だけでなく、広く国民全般が輸出入の重要性について認識を深める日として記念日としました。
しかし自由貿易と言いながら、この条約で問題となったのは主に3点です。
「領事裁判権の規定」
「関税自主権の欠如」
「片務的最恵国待遇」
この3点は明治維新以後は、新政府の最重要課題の一つとして条約改正交渉が断続的に行われましたが、その進展は芳しくありませんでした。
条約の不平等な部分が解消されるのは、日露戦争後の1911年(明治44年)のことでした。
また、孝明天皇の勅許を得ぬまま通商条約を結んだ大老井伊直弼は、尊王攘夷派ら反対派を徹底的に弾圧しました。
後の世で「安政の大獄」と呼ばれる粛清の嵐が吹き荒れたのです。そして「桜田門外の変」へと続き、幕末動乱という大きな痛みを伴って、いよいよ日本は300年続いた鎖国状態を解消し、「開国」したのです。
その江戸時代幕末の当時の輸出入品の取引は、港に設置された居留地(きょりゅうち)と呼ばれる外国人の居留および交易区域で銀貨を用いて行われました。
輸出入額では横浜が、取引相手国ではイギリスが多かったそうです。
日本からの輸出品としては生糸や茶、海産物、石炭など、輸入品としては綿織物や毛織物、鉄砲、艦船などが多かったようです。
貿易とは?

外国を相手に物やサービスを売り買いすることを「貿易」といいます。
貿易によって日本には少ない石油などの資源を手に入れたり、外国に製品を売ったお金で国内の産業を発展させたりすることができます。
日本は海外から原料を輸入し、加工して輸出することで経済を支えている「貿易立国」であると学校では教えています。2011年までの約30年間、輸出額の方が輸入額を上回る貿易黒字が続いていたことを根拠としているようですが、実際には、輸出依存度(輸出額÷GDP)は1980年代からずっと10%~15%と他国と比してもかなり低い水準にあります。
あきらかに内需に依存しているのです。
一方で、食料の自給率はとうとう40%を割り込みました。
見えてくるのは、輸入した他国の資源をひたすら消費する日本の姿です。

開国してからの165年間で、日本はすっかり変わりました。
3200万人ほどだった人口は、1億2千万人を越えるまでになりました。
ごく普通に生きているだけで、仕事も食べ物も日用品も、その多くを輸入に頼るまでになっています。
これから日本の人口は、増えたときと同じくらいの早さで減少する見込みです。貿易はまた、その構造を大きく変えていくことも予想されます。
貿易と疫病
まだ冷めやらぬ災禍の新型コロナウィルス禍ですが、貿易と疫病の関係について少し考えてみましょう。
歴史を遡ると、疫病の拡大と交易路の開設は密接に結びついています。
中世ヨーロッパの「ペスト」の大流行は、シルクロードという交易路を通じて病原体が拡散した一例だそうです。
また、16世紀の新大陸開拓時にヨーロッパ人が持ち込んだ病気は、先住民族に甚大な影響を及ぼしました。
現代でもこのパターンは変わりません。新型コロナウイルス感染症の世界的な大流行は、グローバル化が進んだ現代社会の象徴とも言えると思います。
国際貿易の盛んな航空ルートや海路を通じ、ウイルスはあっという間に地球全体に広がりました。
貿易と疫病のこのような関係性は、国際貿易を通じた経済発展と公衆衛生との間にバランスを求める必要性を示していると感じます。
今日の貿易記念日を迎えるにあたり、私たちはその歴史的な背景を理解し、それを未来への指針として活かすべきです。貿易が国と国との架け橋となり、平和と繁栄をもたらすためには、歴史からの教訓を忘れてはならないのです。
最後にこの「貿易記念日」は、3月25日の「電気記念日」、4月18日の「発明記念日」、11月1日の「計量記念日」とともに経済産業省4大記念日の一つです。
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