6月22日 らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日

今日は何の日

今日6月22日は「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」です。

2001年のこの日、「ハンセン病補償法」が公布・施行されました。
ハンセン病の患者であった方々の追悼、慰霊及び名誉回復のため、平成21年度(2009年度)から、ハンセン病療養所入所者等に対する補償金の支給に関する法律の施行日である6月22日が「らい予防法による被害者の名誉回復及び追悼の日」と定められています。そして厚労省主催による追悼の行事が2009年より行われています。

ハンセン病に対する偏見・差別をなくすため、この機会にハンセン病への理解を深めましょう

ハンセン病とは

ハンセン病とは、「らい菌」に感染することで起こる病気です。
現代においては感染することも発病することもほぼありませんが、感染し発病すると、手足などの末梢神経が麻ひし、汗が出なくなったり、痛い、熱い、冷たいといった感覚がなくなることがあり、皮ふにさまざまな病的な変化が起こったりします。また治療法がない時代は、体の一部が変形するといった後遺症が残ることがありました。
かつては「らい病」と呼ばれていましたが、明治6年(1873年)に「らい菌」を発見したノルウェーの医師・ハンセン氏の名前をとって、現在は「ハンセン病」と呼ばれています。

ハンセン病は自然治癒するケースもありますが、治療薬がなかった時代は医学的に治療することができませんでした。
1941年アメリカでプロミンというらい菌に効果のある薬が登場し、ハンセン病は治療できる病気になりました。
その後は薬の改良が進み、現在では2、3種類の薬を1年から2年服用する多剤併用療法という治療法が確立しています。
薬はWHOが無料で配布しています。多剤併用療法の服薬を始めると、らい菌は数日で感染力を失います。
このように、ハンセン病は薬による治療だけで治すことができます。入院する必要もなく、仕事や通学を継続しながら治療できる普通の病気です。

ハンセン病問題について

ハンセン病問題とは、近代以降の国の間違ったハンセン病対策が原因で、患者、回復者およびその家族の方々の人権が侵害され、はなはだしい偏見差別にさらされた人権問題です。

歴史

近代以降の日本のハンセン病対策は、患者の隔離を基本とするものでした。
1907年(明治40年)に明治40年法律第11号(通称「癩予防ニ関スル件」)が成立し、療養の方法がなく屋外で生活している患者(放浪患者)を療養所に隔離することが定められます。
その背景として、多くのハンセン病患者が物乞いをしながら屋外で生活しており、外国から来きた人に患者さんがいることを見みられるのは恥はずかしい、とも考かんがえ、「国辱」とみなされたことがあります。
その後、1931年(昭和6年)に「癩予防ニ関スル件」が改正され、全ての患者を本人の意思にかかわりなく強制的に隔離できるようになります。
強制隔離」はここから始まりました。

強制隔離の方針のもとで患者の隔離を推し進めるために取り組まれたのが、「無癩県運動」です。これは、都道府県ごとに患者のあぶり出しと隔離を行い、患者がいない状態を実現することを目的として官民合同で取り組まれたものです。患者の発見を容易にするために密告が奨励され、強制力をともなった官憲による連行も行われました。
患者が出た家は差別と排除の対象となり、離婚、失業、一家離散、一家心中、自殺に追い込まれることもありました。

患者が収容された療養所の中では、医療や食事も不十分で、労働をさせられたり、監禁室に閉じこめられたり、患者は囚人のような扱いをうけていました。
さらには、子どもを産ませないための断種手術や中絶手術がほとんど強制的に行われていました。
ハンセン病療養所は、患者が病気を治して社会に戻っていくための施設ではなく、囚人同様の待遇のもとでそこで死んでもらうための場所でした。

戦後まもなく、アメリカで開発されたプロミンという薬が日本でも使われるようになり、ハンセン病は治る病気になります。
それをうけて、療養所の入所者たちは強制隔離の廃止を国に要求しますが、1953年(昭和28年)新たに「らい予防法」という法律が成立し強制隔離は続けられます。
ハンセン病が治る病気になってからも、1996年(平成8年)に「らい予防法」が廃止されるまで半世紀にわたって強制隔離が続けられたことになりました。
その間、「らい予防法」には退所規定がなかったので、多くの人が治った後も故郷や家族のもとに帰ることができず、療養所で亡くなっていきました。

国との訴訟

1998年(平成10年)ハンセン病回復者が「らい予防法」は日本国憲法に違反するものであるとして国家賠償を求める裁判を起こし、2001年(平成13年)5月11日に原告の訴えを認める判決が熊本地裁から出されました。
国は控訴を断念し、この判決が確定しました。
「国による人権侵害」という司法判断が確定している点が、ハンセン病問題の大きな特徴です。

2008年(平成20年)には「ハンセン病問題の解決の促進に関する法律」が成立します。
この法律はその前文で、「ハンセン病の患者であった者等が、地域社会から孤立することなく、良好かつ平穏な生活を営むことができるようにする」こと、「偏見と差別のない社会の実現」等に取り組む必要があると指摘し、「ハンセン病の患者であった者等の福祉の増進、名誉の回復等のための措置」を通してハンセン病問題の解決を図るとしています。

その後、国の間違ったハンセン病対策と社会の偏見・差別により被害を受けたのは患者・回復者だけではなく、その家族たちも大きな被害を受けました。
そのような経験を共有する、患者を肉親にもった人たちが2016年(平成28年)に起こした裁判が、ハンセン病家族訴訟です。
2019年(令和元年)6月28日、家族たちが受けた差別についても国に責任があるとする判決が熊本地裁で出され、国は控訴せずに判決が確定しました。

ハンセン病問題のその後

ハンセン病問題は終わっていないという現実です。原告はほとんどが実名を公表していません。差別を恐れて家族から患者が出たことをひた隠しにして生活している人がほとんどなのです。
入所者の家族は差別を恐れて遺骨の引き取りを拒み、入所者は死んでも家族のもとに帰ることができず療養所敷地内の納骨堂で眠るという状況が今も続いています。
国が行った強制隔離の爪痕は未だに癒えていないと言えるでしょう。
しかし、ハンセン病問題は、国の反省や対応ももちろん必要ですが、今求められているのは、私たち一人一人がこのような問題に対する差別と偏見を無くしていくことではないでしょうか。

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