6月19日 桜桃忌 太宰治生誕祭

今日は何の日

今日6月19日は「桜桃忌 太宰治生誕祭」です。

1948年のこの日、6月13日に自殺した作家・太宰治の遺体が発見されました。

太宰治が戦争未亡人の愛人・山崎富栄と東京の玉川上水に入水心中し、6日後の19日に下流にて遺体が発見されました。
奇しくも、6月19日が太宰の誕生日でもあったことから、6月19日は「桜桃忌」と呼ばれ、三鷹市の禅林寺で供養が行われています。
その名前は桜桃(さくらんぼ)の時期であり、生前、太宰治の好きな食べ物だったこと、そして死の直前の名作であり、最後の短編小説でもある『桜桃』に因んでいます。
6月のこの時季に北国に実る鮮紅色の宝石のような果実が、鮮烈な太宰の生涯と珠玉の短編作家というイメージに最もふさわしいとして、太宰の同郷の友人の津軽出身の文士の中では唯一の理解者として、太宰から信頼されていた「今官一」によって付けられ、友人たちの圧倒的支持を得ました。

その後、太宰治の出身地・青森県金木町では、「生誕地には生誕を祝う祭の方がふさわしい」という遺族の要望もあり、生誕90周年となる1999年から「生誕祭」に名称を改められました。

太宰 治(だざい おさむ)

ご存じのように『走れメロス』『津軽』『人間失格』『斜陽』などの作品を、第二次世界大戦前から戦後にかけて次々に発表しました。
1909年〈明治42年〉6月19日生まれ、1948年〈昭和23年〉6月13日)享年38歳。
本名は津島 修治(つしま しゅうじ)。
戦後はその作風から、坂口安吾、織田作之助、石川淳、檀一雄らとともに新戯作派無頼派と称されました。

「桜桃}のあらすじ

実はこれは夫婦喧嘩の小説なのです。
主人公である「私」(=この家庭の父)は「子供より親が大事、と思いたい。」という考えを一貫して持っています。
ある夏の夕食で妻の「涙の谷」という言葉を発端に夫婦喧嘩になってしまいます。

「私」が一切家事を手伝っていないのに「人雇ったらいい」と言ったことなどなどが理由で妻は涙の谷(悲しみの中にある現世のありさまを、谷にたとえた語)という言葉を使ったようです。

仕事どころではなく、自殺のことばかり考えている私は馴染みの若い女のいる酒場に逃げます。

そこで供されたのが桜桃(さくらんぼ)でした。
私の家ではぜいたくなものは食べさせないので、子供たちは桜桃を見たことさえないかもしれない。持って帰って食べさせたら喜ぶだろう。しかし、私はまずそうに食べては吐き、食べては吐き、心の中で虚勢みたいに「子供よりも親が大事。」と呟くのでした。

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